競争原理は説明できるだろうか・・・・
なぜ、こんなに多様な生きものがこの地球に存在しているかを。
多様な生きもの、その種類も分からないほど非常に多様な生きもの、それが共存在していることが、地球の重要な特徴ではないだろうか。
生きものの存在を競争原理に結びつけて考えてきたことは、人間がその地球に対して犯してきた大罪ではないだろうか。自己の「強さ」に思い上がって「弱者」の存在を無視した人間の。
多様な生きものの共存在とは、一体どういうことなのだろうか。
それは、多様な生きものが与贈した〈いのち〉がつながって、居場所の〈いのち〉が自己組織され、そしてその〈いのち〉を、多様な生きものが共有して生きていくということ。
だから共存在の原理は、多様な生きものが居場所に与贈した〈いのち〉が、居場所の〈いのち〉という、生きものを包んで護る愛の活きに変わること。
愛が活く居場所では、生きものの死も誕生も共に居場所への与贈となる。だから、生きものがそれぞればら
ばらに生きているより、愛が生まれる居場所では、遙かに〈いのち〉豊かに生きていける。
だから生きものは一緒に〈いのち〉の居場所をつくろうとする。
その愛を求める与贈の力から生きものの共存在が生まれてくる。
弱い生きものが一生懸命与贈する力、それが地球の愛の力のほとんどだ。
玄関のドアの前に捨てて置かれた植木鉢に、
あちこちから様々な種が飛んできて、
いつの間にかそこに居場所が生まれていたらしい。
ある日そこへ飛んできた一個の楓の種がやがて芽を吹
き、居場所の〈いのち〉に護られて、糸のように細い
幹に、葉を何枚もつけ、やがて見事な紅葉を見せてくれた。
冬になって葉が落ちると、小さなその木はあまりに細くて、ほとんど見つからなくなってしまったが、でも、枯れて消えてしまったのではなかった。
それは居場所の〈いのち〉に護られて生きていた!
その証拠に、春の彼岸が近づくと、爪楊枝のように細いその幹の先に小さな芽のつぼみをつけた。
それがこの数日の暖かさで近くの大きな楓の木より
も、もっと早々と芽吹いたのだ。
居場所の〈いのち〉を直接見ることはできないが、
この植木鉢には居場所の〈いのち〉が生まれていると、この植木鉢の〈いのち〉がここに存在していると、そして共存在の原理を証明していると、言えるのではないだろうか。
多様な生きものの〈いのち〉を包む愛があることが、
居場所の〈いのち〉を証明しているのではないだろうか。
2015.3.26