今回の「福島からの声」は、藤島昌治さんの詩集「仮設にて」から詩の連載の第4回目(連載は5回を予定しています)です。
川内原発の再稼働を機に、高浜原発、伊方原発と、全国の原発の再稼働への準備が次々に進められつつあります。経済優先の社会を声高々に掲げ、人々の故郷を根こそぎ奪った原発の抱える根本的な問題を覆い隠すかのようにして進んでいく先に、私たちが本当に安心して子供や孫たちに託すことの出来るような居場所の未来を描いていくことが果たして出来るのでしょうか。
今回ご紹介させて頂く藤島さんの3篇の詩からは、伝える術すら失ってしまうほどの不条理と苦悩の中にありながらも、それでも互いが心を支え合い、仮設住宅でささやかに暮らしを続けている姿が伝わってくるようです。
「福島からの声」が過去からの声ではなく、私たちの居場所の未来に向けた、大きな力を持ったメッセージであることをつくづく感じさせられます。
それは決して風化させてはならない、居場所の〈いのち〉からの呼びかけなのです。
(編集部 本多直人)
生きる
二年も経ったら
換気扇がドロドロで
四畳半は足の踏み場もない
長く居なきゃならないなら
ここに棚が欲しい
そうは言っても
どうにかなるわけでもなく
炬燵こたつを隅っこに押しやる
今日は何があっただろうか
明日は と 思いつつ
ただ朝を待つだけの
布団に潜り込む
眠れない夜がつづく
伝言
この苦しさを
この悲しみを
伝える術がボクにはない
この悲しみを
鋭く切り取る
カメラ越しの眼もなく
はげましや
なぐさめの
歌が歌える訳でもない
現実を写し取る
絵が描ける訳でもなく
心を揺さぶる言葉も持たない
それでもボクは
書かずにはいられない
言わずにはいられない
ここがどんなに辛くて
苦しいものか
伝えずにはいられない
やさしさ が
ヒョコ ヒョコ と
鯵の干物がやってきた
「焼いて喰うとうまいんだ!」
後を追って白菜がやってきた
「鍋にでもしろや!」
「じゃが芋は いつでも食えっから!」
煮しめやお新香もきた
「みそ汁にでも入れろや!」と
長ねぎもきた
焼酎がきて ビールがきて
ウィスキーもきて
日本酒もきた
「甘い物もいいべ!」と
羊羹がきて
最中がきて
ゆべしがせんべいも連れてきた
こんなところで独り暮らしの爺さんに
優しさが列をなしてやってくる
焼酎のせいで
ホロリ と涙がこぼれる