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希望は厳しさとの相互誘導合致か

希望は、生きものの内側に生まれる「生きていく形」だ。その形が、居場所と生きものの相互誘導合致によって生まれる〈いのち〉の活きであることは間違いない。それは、未来に応えるために、生きもののからだの内に与贈されている「隠された活き」──〈いのち〉の願──が形となって引き出されてくる「〈いのち〉の芽」ともいうべきものである。その形を引き出すものは、現在の居場所の厳しさであって、決して、その温かさではない。それは、いま温かければ、それで足りるからである。

今年の1月下旬の寒い日に近くを歩いて、私は幾つかの「〈いのち〉の芽」を発見した。

 

NPO法人場の研究所は、いま、冬の厳しさを経験している。経済的な理由によって、この二月中にこれまで12年間以上続いてきた場所を空けて出ていかなければならないのだ。一番の問題は、未来のためと思って備えてきた多方面の多くの資料や本を、ほとんど捨てなければ出られないことだ。このことが思想の研究所の一番の問題点だ。

 

まことに幸いなことに、新しい居場所を提供して下さる方がおられ、その新しい居場所で、場の研究所が3月から始める活動に夢を膨らましている。それは生きていくことが難しくなっている地方や被災地に、住民の方々と、自治体と、時には生協と、そして幾つかの企業──共存在企業──とが一緒に居場所を共創していく活動だ。その居場所には、家庭には家族が生きていくように、それはこの共創に参加をする人びとが生きていく場所でもある。共創によって住民の方々に未来が開かれるとともに、企業にも、資本主義経済の壁を乗り越えて未来へ進む力が生まれる。だから、それは富としての〈いのち〉の共創だ。

 

 

しかし、その未来を迎えるためには、場の研究所が抱えてきた大量の資料や本を捨てなければならないが、そのために厳しい労働を与贈して下さる方々が現れて、新しい場所をご提供いただく方、未来の夢を共に育てようと心を砕いて下さる方の出現と共に、この場の研究所の12年間余の活動にも、すでに「隠された活き」が生まれていたことを知って感動している。

この寒さの中で、それまで枯れ木の上で耐えていた一個のトマトが遂に地に落ちた。それで、ふと思い出したのが、聖書のイエスの言葉である。

 

 

はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の〈いのち〉を愛する者は、それを失うが、この世で自分の〈いのち〉を憎む人は、それを保って永遠の〈いのち〉に至る。(ヨハネ12. 24-25)

 

 

このように生きたいものである。

2016.02.23