□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□
場の研究所 定例勉強会のご案内
□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□━□
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/
--------------------------------------------------------------
「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」
〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。
(清水博)
--------------------------------------------------------------
◎6月24日に勉強会が開催されました。
内容は「霊性的自己への理解を深める」と言うテーマで議論しました。今回も、多くの方に参加していただき、いろいろな角度からの議論がなされ、有意義だったと思います。
前半はテーマ以外の皆さんからの体験やエピソードから場に対する考え方の質問や、理論についての意見交換などを行いました。
個と個の関係から、個と集まり、個と社会のあり方を考える時、場の研究所では「二重生命」の問題として、卵モデルを使って考えていくという方法を紹介しています。その方法によりますと、まず個と居場所(全体)の〈いのち〉の関係をはっきりさせることが重要で、次にそのように居場所と主客非分離になった個と個の間の関係を考えていくという話しが出ました。
このことは、私たちの身体という居場所と、その身体を構成している細胞の関係に置き換えて、理解することもできるのではないでしょうか。この場合でも、細胞の間には共創がありますが共創は全体として統合された活きをするという項辱条件の下でおこなわれる、それぞれの主体性を発揮する競争でもあるという面をもっています。
このことを現実の問題に応用して、言い換えるならば、居場所の<いのち>を大切にするという考え方を共有するということになると言う説明がありました。
居場所についての議論では、植物が枯れて次世為の肥やしになり、居場所を舞台にして〈いのち〉が繋がっていく。これと同様に人間も老いた時、居場所におけるそれなりの重要な役割がある。死自身にも、居場所において大きな意味をもつ死と、意味のない死があると考えられます。それは意義のある死とは、個の〈いのち〉が大きな居場所の〈いのち〉となる変化であるからです。死の場においては、何のために生きていくのかが問われるのです。
また、「おたがいさま」という言葉には、さらに「おかげさま」という居場所に対する感謝の意味がなければ、与贈という「おたがいさま」で最も重要な心は生まれないという指摘がありました。そこで、「おたがいさまによる居場所づくり」というテーマは、行き詰まり感の強い現在の世の中を救う有効な手法と、考えても良いのではないだろうか?
また、おかげさまと見えないものに感謝をすることが人間らしさでもあり、場の文化のなかで生きている日本人には、このような
センスは互いにわかり合えるのでは?人は、多くの人びとに世話になってきた人生の上に今があると考えれば、「おかげさま」で、と言える人生を生きることが、自分で納得できる人生を過ごすことになるのではないだろうか。
考えながらおこなう行動には、論理的に考える場合と、直感的に考える場合とがある。前者は明在的であるのに対して後者は暗在的であるために、その活きは不明であるが、意外と直感の方が正しいことが多いように思う。という意見が出ました。清水先生からは、それが「おのずから、・・・」ということに近く、自然に気づいて行くとか、思いつくモノは必ずある。また一人でいくら考えても思いつかないのに、みんなで議論して居ると急に新しい考えが浮かぶ。これは意識に上がる前のプロセスから直接出るもので、決して意識の活きによっておこなわれる理論的な思考からは生まれない考えが出ることがある。
勉強会のテーマである霊性的自己については、認知症を発病したクリスティーヌ・ボーデンさん自身が書いた本が紹介された。それは、30才代で認知症の症状が出て、自己が次第に失われて暗黒な世界に引き込まれていくような、怖ろしい状況を語ったものがあり、その中で認知症の介護のあり方やコミュニケーションについて、重要な示唆が与えられている。闇の世界に向かって変化をしていく自己の存在を、理性な認知や感性的共感によって支えることはできない。それを支える活きが自己の精神の活き spirituality に関係のある霊性的自己 spiritual self にあることをこの本は、自己の貴重な経験から示している。
その霊性的自己を支える活きこそが、認知症の当人にとっても、介護をする人にとっても重要でありクリスティーヌ・ボーデンさんの場合は、キリスト教の信仰を受け入れることによって霊性的自己を通しての豊かな交わりも生まれて、寛恕の生活を支えたのであった。また霊性的自己の活きを強めることによって、外見上、認知症の症状が改善されたために、大学で改めて勉学をすることもできたのである。
卵モデルによって霊性的自己の状態を考えると、それは限りなく大きな居場所の白身である〈いのち〉の海に包まれた黄身の状態に相当する。その〈いのち〉の海はどんな黄身でも包み込んでしまう開かれた存在の世界なのである。人それぞれの存在は努力によっては動かすことができない宿命的なできごとや出会いによって宿業を背負っていく。
また、そのことによって人は一人ひとり異なった人生を生きなければならない。居場所の白身がその一人ひとりを包んで、暗在的な自己組織によって互いにつながり、大きな〈いのち〉の海になっていくのである。だから、認知症を患っている人びとの黄身は白身を失って居場所の中で孤立していくことになるが、この〈いのち〉の海に包まれることによって、〈いのち〉を取り戻すことができるのである。愛の宗教と言われるキリスト教には、このように理性的自己を支える活きがあることは上記の書に詳しく書かれている。
仏教でそれに相当するものは、慈悲の仏教と言われる浄土教である。親鸞の開いた道は、どうすることもできない宿業(認知症に
かかることも宿業である)を負った自己の存在を、そのまま救って欲しいとして、念仏を申すことである。安心をいただくことである。それは、祈りや祈祷によってその宿業を取り去ることを期待する御利益宗教ではない。それは、自己が霊性的自己となることによって救済を受けるのである。
またこの点に関して、清水所長から中村久子女史の人生の紹介がありました。彼女は幼児の時にかかった足の甲の凍傷から、特発性脱疽を発して3歳の時には両手両足を手術によって失い、その後も痛みが去らず両手両足の切断が続き、20歳の頃には「だるま娘」という名前で見世物小屋に200円で身売りされるという重い宿業を背負いながら、幾多の困難を乗り越えて生き続け、42歳の時には歎異抄の親鸞に出会って、まさに念仏を申しながら、その一生を立派に生き切った人です。
中村女史は子どもの頃から精神力を厳しく鍛えられて、なるべく人に迷惑をかけないで、生きていくことができるような人でしたが、それでも、自分の一生は何のための一生であろうか、自分の人生の先には何が待っているかと思うところから、存在の悩みや不安が湧いてきたと思われます。念仏を申すことによって霊性的自己として意義のある人生を生きてることができた人です。
以上のような話が交わされました。
■ 7月の勉強会
従来どおり、第3金曜日の7月15日に開催致します。
・場所は場の研究所(大塚の新事務所)です。
⇒大塚駅から徒歩10分弱程度です。
(株)日本ソフトさんの1Fが場の研究所の新事務所ですが、勉強会は地下のミーティングルームをお借りして行います。
内容は、「意味を生み出す沈黙の世界──〈いのち〉の与贈循環に関係して」 と言うテーマで一緒に考えたり、議論したりしたいと思います。
なお、メールニュースの清水先生からのメッセージは掲載を致しません。HPのメッセージを見て頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
■勉強会のご案内
テーマ:「意味を生み出す沈黙の世界──〈いのち〉の与贈循環に関係して」
日時:7月14日(金曜)17時から19時30分まで
スタートは従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて、17時より勉強会を行います。
場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1−24−3
Email:info@banokenkyujo.org
参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
(なお、飛び入りのお断りはしておりません。)
■編集後記
皆さま、暑くなって参りました。議論の方も熱が入ってきて
おりますので、是非、勉強会へのご参加よろしくお願いいたします。
なお、新事務所の場所、電話などは下記の通りです
(新事務所情報はHPにも掲載済み)
特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1−24−3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org