今月の「福島からの声」は、みうらひろこさんの詩集「渚の午後」連載第6回目です。
今回ご紹介させて頂くのは「省略させてはならない」という詩です。
福島原発事故の問題は、経済の拡大を何よりも優先し、一部の人々の利益のために、
居場所に棲む人々や生きものたちの〈いのち〉をまさに「省略」し、ないがしろにしてきたことにあるのです。
経済が先にあって暮らしがあるのではありません。
居場所があってこそ人々の〈いのち〉の営みがあるのです。
数字にならないもの、見えないものの大切さ。
みうらさんが詩の中で表現しておられる「愛や絆や温もりや地球人として大切なこと」は、
地球という私たちの〈いのち〉の居場所を、本当に希望ある未来を描くことの出来る温かい居場所づくりを、何よりも大切に思う心から発せられた言葉だと思います。
〈いのち〉は省略できないものです。
この夏、オリンピックや甲子園の盛り上がりを隠れ蓑にするようにしてなし崩し的に伊方原発が再稼働されました。「安全基準」という言葉のあまりの危うさ。
それはまさに〈いのち〉の省略ではないか。そう思うと強い怒りと憤りを覚えずにはいられません。単に「放射能レベルが下がった」、「避難解除された」という省略された数字や情報だけでは、置き去りにした家畜やペットたち、そして実際に今も放射能汚染で苦しんでいる生きものたちの哀しい眼を心に映し出しながら居場所の復興を進めていくことは出来ません。
福島原発の事故は、この〈いのち〉の問題であるということを私たちは忘れてはなりません。そして如何なる「省略」もさせてはならないのです。 (本多直人)
省略させてはならない
悲しんだり
嘆いてばかりいても明日は来ない
私達は模索しつづけよう
何か希望を見つけよう
これから先の人生に
自分自身に問うてみよう
新しい地域や家族の歴史を
紡いでゆくために出来ることを
東京電力は東電と呼ばれ
原子力発電所は原発と略称され
私達の地域に君臨しつづけていた
あとで知ったことだが
万が一の事故に備えて
立地町への対応マニアルは作っていたが
隣接町村へのマニアルは無かったという
安心・安全への過剰な自信
この恐るべき慢心、何という驕り
私達浪江町民達を
住民以下と切り捨て
省略してしまっていたのだ
私達は省略されてはならない
私達は切り捨てられてはならない
逃げ惑ったこの怒りと不安と悲しみ
もっと沢山の悲惨さを
セシウム134と137が付着した
それら瓦礫の山が更地になるまで
人類には無用のものを排除して
愛や絆や温もりや
地球人として大切なこと
世界中から寄せられた真心を
同じ思いをしている人に
分け与えねばならない
私達の心に今でも突き刺っている
哀しい眼をして訴えかけてきた
置き去りにしてきた家畜やペット達
目を閉じれば甦がえる
穏やかで幸わせだった暮しの日々
それらを省略させてはならない
切り捨ててはならない
私達の新しい明日のため
サイレントマジョリティよ
叫ぼうではないか 今こそ
*1 原発立地町(双葉・大熊・富岡)以外の双葉郡町村五つ(浪江町・葛尾村・川内村・楢葉町・広野町)
*2声なき多数派