今回の「福島からの声」は、みうらひろこさんの短歌の連載の第5回目です。
九州北部豪雨をはじめとする各地での大水害。日本が如何に厳しい自然環境の元にある国であるかということを改めて痛感させられています。
同時に言えることは、この日本という国には、いかなる安全神話も成り立たないということです。天災と人災が重なったときに起こる被害の甚大さと悲惨さ、その爪痕の深さを福島の原発事故は、私たちに今も教え続けてくれています。
みうらひろこさんの詩は暮らしの立場に立って謳われていることから、福島の問題を外からの眼ではなく、内からの眼で、居場所の眼で映し出してくれています。
私たちは、見た目の復興ではなく、この居場所の眼から問いかけを更に深め、未来の居場所づくりにつなげていく責任を担っていることを決して忘れてはいけません。(本多直人)
たつ年と 孫の書き初め掠れたる 「つ」の一文字を褒め上げてやる
避難所の 小さきお握りメロンパン 1/4片れを孫よ忘るな
サッカ-の ボ-ル蹴る音呼び交わす 声が湧きたつ除染の校庭に
故郷の 想い持ち寄り集いたる 宴の席に桜花は散りしく
(各地での浪江住民の集いにて詠む)
残し来ゆ 庭の樹木の花偲ぶ 散歩で出逢いし花の香かげば
昨年も 今年も梅の実漬くること 叶わぬは悔し落つる音聞く
カリカリと 噛じる青梅の思い出の 疼くことあり哀しみもあり
なおさらに 「春望」の詩は胸に染む 今のこの世を杜甫は詠みしか
人住めぬ 町村となりても四季巡る 破れしものとは安全神話よ
被災地の 牛の写真に逼り来るものあり 重きその書を閉じぬ