福島からの声 2018年11月

今回の「福島からの声」は、これまでに続いて、根本洋子さんらが合同歌集として出版されている「あんだんて」の中からの根本さんご自身のコラム「詠むことが記録」をご紹介させて頂きます。

最近では、溜まり続ける汚染水処理後の海洋廃棄が大きな問題になっています。

放射能汚染の拡大に対する懸念はまずます拡がり、その収束の道筋すら見えていません。

にもかかわらず、「安全」と言う言葉を巧みに使い、それを隠れ蓑にして、現状を覆い隠しながら進められていく再稼働ありきの政府の政策には、強い憤りを感じずにはいられません。こうした問題の根本には、「所有の拡大」にひたすら進んできた私たちの社会全体の問題が潜んでいるように思えてなりません。私たちがほんとうに未来につながる温かな居場所を考えるならば、この福島からの今の声を、強い反省と共に聞きながら今、故郷を失った人々、行き場を失ったあらゆる生きものたちとの「共存在」に目を向けた一歩を踏み出していくしかないのではないでしょうか。根本さんがコラムの最後に書かれた「心の喪中からの復興」という言葉が心に強く響きます。本多直人

 

 


詠むことが記録

 

物騒な世の中だ。連日報道されている殺人事件。「誰でも良かった」「殺してみたくなった」と平然と反省の色もない犯人。そして親が子を、子が親を殺す事件もあった。

しかし、時が経つうち、そんな事件もあったっけ?と記憶の抽斗をごそごそして、やっと思い出せるものもある。悲しい事だ。「人の噂も七十五日」とは良く言ったものだ。

けれど、東日本大震災による原発事故があった事は、決して忘れてほしくないと思っている。七年過ぎても、私を含め、未だ沢山の人々が故郷に帰る事が出来ないでいる。私の場合はもろもろの生活環境が整っていないから。

先日、東京電力は、事故から八年目にして福島第二原子力発電所の廃炉を決断した事が報じられた。“遅いのではないか”という声もあった。しかし、廃炉にする決断の意義は福島県民には大きいものだ。

この一年、色々な事があった。原発に関してはセシウムボ-ルとか、トリチウム水とか、聞き馴れない用語も報道されている。原発事故で避難している私は、世間の人たちには、事故の事を忘れてほしくない。今の現状をもっと知ってほしいと思っている。つたない歌ではあっても、その時、この時の事を詠む事は出来る。合同歌集として、発表させてもらえる事に感謝したい。世界中が四年に一度のサッカ-・ワールドカップの戦いで沸いている事も、一つの出来事である。今朝は8強入り目前の日本チ-ムの惜敗がたたえられた。観覧席の日本人サポ-タ-達のマナ-も称賛された。大企業(東京電力)を相手どって、浪江町民の代表として戦ってくれた町長さんが病気で亡くなられた。おおきな喪失感がある。

原発事故からの一・二年目は年賀状を書く気力も無かった。心の喪中であった。

今年はやっと七年目にして、カラ-刷りの年賀状を出す事が出来た。私の心の復興ではないかと思っている。