福島からの声 2019年8月号

今回の「福島からの声」は、8月1日に発行された詩誌「卓」(第六次No.6)より、これまでご協力頂いております詩人のみうらひろこさん(本名:根本洋子さん)の詩「新元号・令和へ」をご紹介させて頂きます。

先日、福島の海に沿う常磐自動車道を仙台から東京方面へと走る機会がありました。宮城の南部から、福島の新地、相馬、南相馬、浪江、楢葉、いわきと、被災地を貫通するように走る高速道路からは、放射能レベルの表示板の数字と共に、それぞれの町の今が目に飛び込んできます。夏草が生い茂って荒れ果てた田畑、震災後から手を付けられていないことを思わせる廃屋、そして今もまだ置き去りにされた数え切れないほどに並ぶフレコンバッグ。まるであの日から時間が止まったままのような福島の姿に言葉を失います。

平成から令和となって3ケ月、来年に迫ったオリンピックの盛り上がりや、政治や経済の混乱ばかりに目を奪われてしまいがちな今。私たちはほんとうに大切な〈いのち〉の居場所の問題が置き去りにされていないでしょうか?過ぎ去ったことにしてしまっていないでしょうか?何かにごまかされていないでしょうか?大切な問題から逃げて出していないでしょうか?

みうらさんの詩からはこのようなメッセ-ジが鋭く伝わってきます。

それは故郷を奪われた人々や生きものたちの見えない声として、未来への警鐘のように私たちの心に強く訴えてくるように感じられてならないのです。 

 

(本多直人)

 


新元号・令和へ

みうらひろこ(詩誌「卓」より)

 

今年は二度の元旦を迎えたような気分

平成から令和へと

若者たちがカウントダウン

そのはしゃぎ様をテレビで見た

平和というのはこういうことなのか

いや、もしかして先の見えない生活への

不安から逃げ出したくて

見えないラインを股ぐための

バカ騒ぎという儀式

の ようなものなのか

年金・働き方改革・育児・消費税・物価

もろもろのことはそのまま移行

被災したことも忘れ

放射能のことも忘れ

日本の憲法の揺らぎも忘れ

もっとあるけど「平等」に訪れた

新しき年号{令和}

とりあえず ようこそ