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場の研究所メールニュース 2020年03月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、
「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に
送付させていただいています。
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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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■2020年3月のメールニュースをお届けいたします。

 

【お知らせ】

メールニュースの配信方法が変わります。

場の研究所では、これまで利用していた配信の仕組みが終了となることから、次の配信の仕組みをどのようにするか検討してきました。

検討の結果、Googleグループ(というサービス)を利用した方法に変更となることを報告します。

 

切り替えに際して…。

メールニュースを受信されている方々には行っていただくことはなく、自動的に新しい配信方法でメールニュースをお送りさせていただきます。

その際、一度、Googleグループ(Google Groups)から以下の題名のメールが届きます。

『グループ「場の研究所|メールニュース配信」に追加されました』

このメールは、受けていただくだけで結構です。(返信・登録などの操作の必要はありません。)

 

また、同メールには「このグループへの参加を希望されない場合」、つまり、グールプからの退会の方法も表記されております。

もし、メールニュースが不要という方は、当該方法より退会してください。

 

では、今後とも場の研究所のメールニュースをよろしくお願いします。

 

◎今般、新型コロナウィルス(COVID-19)の感染について状況を監視して参りましたが、拡大が新たな段階に入り、終息が見えてこない状況です。狭い空間に多くの方が参加していただく状態になる勉強会はとりあえず中止をして、事態の進行状況をみる方がよいと判断し、2月21日(金曜日)の勉強会は残念ながら開催を中止させていただきました。

 

そして3月からの場の研究所のイベントにつきましても、とりあえず、近々の「哲学カフェ」につきましても、状況改善の見通しが無いことから開催を同様に中止させていただきます。勉強会に付きましては、後述いたしますが、開催を希望しながら今後の状況を見ながら判断させていただきたいと思います。

 

そこで、本メールニュースでは、2月12日に開催しました「哲学カフェ」の内容を、皆様へお届けすることとしました。従来通り推進役のこばやしさんがマスターとして、「存在と死」というテーマで進めました。主な内容は下記の通りです。

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2020年2月12日(水)に行われた場の研究所の哲学カフェについて:

 

2月に予定されていた勉強会のテーマが「存在と死」だったこともあり、哲学カフェのテーマは『「存在と死」と「存在者と死」』としました。(残念ながら、2月の勉強会は中止となってしまいましたが…。)

 

哲学カフェは、勉強会とは違い対話の時間ですから、その場で話されたことをまとめても、その場にあった様々は伝わらないでしょう。そこで、当日の対話の前の説明をまとめてみました。

 

また、清水先生の発言のいくつかを記しておきます。

(参加者の皆さんの発言は載せられないので)

これらを手掛かりに、メールニュースを読み終わった後、このテーマについて考えを深めていただけたら幸いです。

 

会は、このような話から始まりました。

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まず、資料(※)で参考としたいのは、死ということの個人的な体験から、そこにある普遍性へ考えが深められている点です。

また、誰かの死について考えるのではなく、「死」そのものの本質を感じ取ることに気をつけてみましょう。また、一冊の絵本(「くまとやまねこ」)を用意しました。こちらも手にとって読んでみてください。

 

さて、死とは違う話ですが…。

昨年、ある経験をしました。

大切なノートを失くしたのです。

とても、がっかりしました。

その前の3ヶ月ほどの大事な覚書です。

いろいろまとめたいこともありましたので、無くなっていることが分かった日は、どうしてよいものか気分が滅入ったものです。

 

そして、数日、どんよりとした日を過ごしました。ノートを失くしてしまったことを悔やんで、ぐずっていた訳ですね。ただ、ありがたいことに友人が、そのぐずっている私を受け入れて、愚痴を聞いてくれたり、一緒に甘いものを食べたりしてくれました。そんなこんなの後、ある日突然ハッと気づいたのです。

 

ノートを「失くした」ことによって、喪失感が「生まれていた」ことに気がつきました。

 

そして同時に、今その喪失感について書き留めておきたいのに、それを書くノートが無いじゃないか、と気がつき、早速ノートを買いに走ったという出来事です。

 

さて、残念ながら、死の後では、このノートの紛失のように考えを深める機会はありませんが、今日は、この後半のような話ができないものかと思うのです。

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(ノートを失くした時、始めずっと「ノートがなくなってしまったこと」に捉われていました。それがある時、転じて、自分が「どうしていいかが分かる」ようになります。この転回がとても意味のあることのように感じて、なぜ起きたのか、これはどういうことなのか、考えつづけていました。今回、勉強会のテーマを聞いた時、不思議とこの件と重なりを感じて、このノートのエピソードを始まりに話したいと思ったのでした。)

 

この話の後、ゆっくり時間をかけて参考に用意した資料(※)と絵本を皆さんに読んでいただき、その後、対話の時間としました。

 

絵本:「くまとやまねこ」

湯本香樹実 文

酒井駒子 絵

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309270074/

(今回のテーマ、この絵本を読んだこともきっかけの一つでした。)

 

※ 資料:

「悲愛の詩学」批評家 若松英輔

http://shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report02_bn49.html

「現代と親鸞の研究会」より

 

 

 

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当日の清水先生から…

 

存在者の死と異なって、存在の死には死んでも残るものがありますよね。

この「残るもの」が大切ですね。

 

80歳を過ぎると自分が死ぬことがわかるんです。細胞がささやいています。

 

自分自身の死がどのようなものであるか、死んでいくとはどういうことであるかに、関心があり、死者を見るときも、この点から見ています。

 

存在の死は二重存在の中での死であり、存在者の死は一重存在の中での死です

ね。


死に際して、人が最後にできることは祈ることだけです。

祈りは個人に与えられた大きな恵みですが、それは簡単そうに思えて、実は難しいのです。死の祈りが容易にできないことは国木田独歩が表していますね。

(『魂と無情』(竹内整一))

 

存在者の死には祈りはありませんが、存在の死には祈りがあります。

それはその死の後では残るものがあるからです。

そのことを祈るのです。

 

存在の死の後で残るものとは何だろうか、そしてそれはどこに残るかを考える上で、「文章を読む」ときに単語の意味がどこに残るかを考えることがよいたとえになります。意味は〈いのち〉に相当しているからです。

 

文章には、単語の意味と文章全体の意味があります。単語は個人に、そして文章は多様な個人が集まった居場所に相当します。そして単語の意味は個人の〈いのち〉に、文章の意味は居場所の〈いのち〉に相当します。

 

文章を読むときは、単語を一つずつ読んで、その意味を確かめていきます。

単語が視野に入ったときが個人が生まれたときに、視野から出たときが死んだときに相当します。

 

文章としての意味が生まれるためには、読み終えた単語の意味が残っていく必要がありますね。この単語の意味は、どこに残るのでしょうね。文章全体に残っていくのです。

 

同様に、存在としての個人が死んでも、その〈いのち〉の活きは居場所に残っていきます。

このように考えなければ、居場所には〈いのち〉が生まれないことになってしまうので、実際の状態を説明できなくなります。

祈りは、個人の意味が文章に残るように願うことに相当しているのです。

 

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「くまとやまねこ」要約)

「くまとやまねこ」は、くまのなかよしのことりが死んでしまった場面から始まります。

物語の前半、森のどうぶつたちはみな、くまにことりのことは忘れるようにいいます。くまは耐えられなくなって、部屋に籠もってしまいます。

そしてある日、くまは日差しと緑に誘われて、家の外へ歩きだし、やまねこに出会います。

やまねこはくまの気持ちを受け取り、ことりのためにヴァイオリンを弾いてくれました。

その演奏中、くまは、ことりとの時間は今も自分の中に生きていることに気づきます。

そして、くまは新しい未来の可能性を発見します。

くまとやまねこは、二人で旅に出る場面で物語は終わります。

 

 

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以上

 

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■2020年3月のイベント:「哲学カフェ」と「勉強会」について

 

現在の状況は、新型コロナウィルス(COVID-19)の感染の拡大がまだ収まらないことから、3月11日(水曜日)の「哲学カフェ」は中止とさせていただき、3月27日(金曜日)の勉強会については、これからの状況により判断したいと考えています。ご参加予定の皆様は必ず事前にホームページをご確認ください。

 

・2020年3月の「勉強会」のご案内

従来通り、北大塚の「場の研究所」で勉強会開催予定です。
◎日時:2020年3月27日(金曜日) 
 15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より
 勉強会を行います。)

◎勉強会テーマ:
仮題:「死と居場所」

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)



■編集後記
2月の勉強会は残念ながら中止させていただきました。

新コロナウィルス問題の早期の終息を祈りたいと思います。3月については、「哲学カフェ」は中止とし、「勉強会」すでに先月のメールニュースでご案内しましたように第3金曜日の20日が休日のため、1週間延ばした27日ですが、この日程は当面キープしたいと思います。これも状況が好転した場合ですので、中止の場合もあり得ます。是非、ホームページを事前にご確認ください。

 

定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org