このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。
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■場の研究所からのお知らせ
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皆様
場の研究所の理事の前川泰久でございます。
新型コロナウィルス(COVIT19)の感染については、残念ながら第2波の様相を呈して来てしまいました。特に、都市圏では、感染リスクも高く、場の研究所の狭い会議室での勉強会の開催はまだ厳しいと考えております。従って、8月の 哲学カフェ、勉強会も中止することに致します。
また、9月に毎年開催していました、シンポジウムも当面延期と考えております。
既に先月のメールニュースにてお知らせしましたように、場の研究所は、これまで行ってきた「勉強会」や「哲学カフェ」は残念ながら3月以降開催できていません。そのような中にあって、私たちは、これまで行ってきた「勉強会」や「哲学カフェ」の場での学習をどのように継続していくかが課題であると考えました。場の研究所の目的は、「人々が互いの違いを重んじながら助け合って生きていける、そのような「場」が生み出され、広まること…」です。このような「場」が必要だという思いは、世界には未来の可能性があって欲しいという気持ちにもつながっています。そのためにこその学習の継続です。しかし、今、集まれません。そこで、今、何ができるのか、検討し試行を実施しています。
そして実際に試行中の「ネットを介した勉強会」ですが、我々が大切にしている考えを再度説明いたします。
現在多くの方々が集まる代わりに行っているネットを利用した方法としては、ビデオと音声を使った対面方式のオンラインミーティングがあります。この方法は、効率よく分かりやすく物事を伝え、進め、まとめるという点に長けていると考えます。しかし、私たちが大切にしたい点である、互いが寄り添ってひとつの時間を過ごしているという感覚は薄いように思われます。そこで、一緒に皆と意見を交わしながら過ごした時間が心に残るような方法を考えました。
そして、今、この方法を試行しています。7月は、二度目の試行が行われました。内容についての詳細は、書けませんので、ここでは、1回目、2回目の試行が終わった時点での感想(インプレッション)を記したいと思います。
「ネットを介した勉強会」は、実際に行ってみると、元々の(対面での)「勉強会」とは、少々違う印象持っています。
(対面での)「勉強会」と同様に、清水先生の資料を元に意見を交わしていく形式なのですが、ここでは、用語の解釈やその質問といった意見のやりとりと言うよりは、どちらかといえば「(場の研究所の)哲学カフェ」にあるような、それぞれ一人ひとりの心の奥にある言葉が表されていくのです。このことは、各々離れた場所にいるわけですが、一緒になにかを作り出しているような感覚として感じられました。これは、嬉しい誤算でした。勉強会という場において、資料を理解しようという気持ちや、理論の新しい展開を受け取っていくという高揚感は、それはそれとしてしっかり在りながら、資料に書かれていることと自分自身が生きていくこととを結びつけながら、それぞれが自分の言葉を編み出していくという時間であったと思います。つまり、居場所における自分自身を確認していくという過程があるのです。
清水先生の言葉を借りると…。
「時間的な区切りの共有と情報の共有に自分自身が参加をしていることを確認することが歴史的時間を共有させて、私たちの間に共存在感覚を生んでいると思います。」
ここから、私たちが試行している「ネットを介した勉強会」は、この勉強会の資料のテーマでもあった「共存在という特徴を持った、新しい環世界(居場所)をつくっていくために、私たちはどのように生きていくべきか」という問いへの試行そのものとなっていたことに気が付き、嬉しくなりました。
これらのことを振り返りながら、今、これからの場の研究所が行えることは何なのか、考え、実行して行きたいと思います。
◎「ネットを介した勉強会」の7月のテーマ「共存在の居場所」
(清水先生の資料の大まかな抜粋)
共存在の居場所
上からは地球によって、また下からは新型コロナウイルスによって、人類は存在の危機を迎えて、その存在のあり方を変えるように迫られています。この上下からの活きは関連していますので、そのことも参考にして、どのように生きていくべきかを考えてみたいと思います。
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これまで人間の社会(環世界)は、自己という一者の集まりであると考えられてきました。しかし、ここでCOVID-19の活きによって、誰もが無症状の感染者になっている可能性が暗在的に生まれてきたために、互いの存在が分けられない状態になり、臓器における細胞たちと同じような状態が、私たちの存在にも現れてきたのです。つまり、私たちの社会的な存在が単一存在から共存在に変わってきたのです。その結果生まれてきた共存在者としての新しい行動がマスクとソーシャル・ディスタンスです。
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単一存在から共存在への変化によって私たちが体験することができるのは、コロナウイルスに脅かされずに生きていくことができる新しい環世界です。言いかえると、人びとが新しい環世界を実現しつつ生きていく存在のあり方が共存在です。したがって今後も共存在を実現するさまざまな方法が生まれてくると思います。そのためにAIが活用されるでしょうし、ワクチンや治療薬も、環世界に共存在を実現していくことを助ける活きをしていき、環世界を再び単一存在の世界に戻す活きはしないだろうと思います。
共存在への変化には二つの段階があります。第一の段階は、自分と他者が環世界に共に生きている「生命の共存在」の状態です。第二の段階は、さらに与贈が進んで、自分と他者が環世界に共に生きていく「〈いのち〉の共存在」の状態です。この段階では、自分と他者は共に同じ居場所で歴史を共有しながら〈いのち〉のつながりをもって生きていきます。ここで〈いのち〉とは、生きものがその存在を継続的に維持しようとする能動的な活きで、いわゆる生命力に相当するものです。生きている状態を生きていない状態から区別する「生命」とは異なって、〈いのち〉は時間的な性質や自己組織性を持っています。
すべての生きものが地球の上で共に生物進化をしていることから考えると、大まかに言えば、すべての生きものが地球を「大きな環世界」として共存在して生きていく状態をつくっていると言えます。この大きな環世界は、棲み分けに使われるさまざまな生きものの環世界をすべて包んでいる生きものたちの「宇宙における居場所」です。人間がCO2による温暖化によってこの居場所としての地球の状態を壊してきたことが、COVID-19のパンデミックの根本的な原因かも知れません。単一存在は生きていくための競争を生みます。そしてそのことが増え続けるCO2の根本的な原因になっています。しかし共存在を基盤として生まれる社会は、この競争を大きく減らしていく可能性があります。このことは、COVID-19のパンデミックを克服していく私たちの活動が、CO2を減らしてすべての生きものの居場所としての地球を救う活動につながっていくことを示しています。人間の単一存在的な社会のなかで生まれていく共存在的な場所は砂漠における〈いのち〉のオアシスにたとえることができるでしょう。
問題にしたいのは、『「生きていること」を続けているだけでは、「生きていくこと」にはならない』という点です。科学がこれまでしてきたことは「生きていること」の研究であり、文学や藝術が問題にしてきたことは「生きていくこと」だからです。この二つが解きがたい形で絡み合っているのが、新型コロナのパンデミックです。
次に問題にしたいのは、生命体を外から見たときには、全体のなかにすべての部分があるが、その内側の部分として生きていく生命体全体を見ると、部分と全体は常に切れていて、部分は全体の本当の姿を知ることはできず、全体の姿は仮説としてしか接することができないという点です。
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以上のような内容の議論でしたが、参加者の方からは好評が多く得られましたので、8月もこの方式の勉強会の継続開催を予定しております。
◎「ネットを介しての勉強会」開催について
8月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、本来の勉強会の日程である8月21日の17時から、再度試行する予定です。テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。
なお、ご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。また9月以降、さらに拡大した会員の方々議論ができるようであれば、こちらもご案内しようと思います。
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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。
2020年8月10日 場の研究所
前川泰久