このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。
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■場の研究所からのお知らせ
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皆様
場の研究所の理事の前川泰久でございます。
あけましておめでとうございます。皆様、ご健勝で新年を迎えられたことと思います。
新型コロナ感染は、昨年12月から一気に拡大となり、リスクの高い環境になってしまいました。世界中が何とかこの状況を脱して、明るい未来が見えることを期待しております。
昨年の12月も、7回目の「ネットを介した勉強会」を開催いたしました。
(これは電子出版された清水 博『共存在の居場所:コロナによって生まれる世界』が「勉強会」の共通の基盤になっています。)
12月のテーマは「相互誘導合致と共存在」というテーマで開催しました。参加された有志メンバーは15名くらいでしたが、今回も皆さんのいろいろな角度からの考えや意見、またそれぞれの経験をベースにしたメッセージが交わされました。
2021年の1月も開催予定です。基本のテーマは「共存在」です。
これは、ネット上ではありますが、「共存在」の場ができて来ていると感じておりますので、今後も、その原因を探りながら改良を重ねて継続し、広げて行きたいと思っています。
なお、これまで、「ネットを介した勉強会」の内容については、メールニュースで議論状況や資料をご紹介してきております。もし、ご感想、ご意見がある方は、前回同様、今回も下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。よろしくお願いいたします。
ご感想、ご意見は、こちらのアドレスへお送りください。
contact.banokenkyujo@gmail.com
メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。
◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:
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こばやしです。
2020年を振り返ってみたとき、つくづく「ネットを介した勉強会」を始めることができて良かったと思いました。もし、1月の勉強会を最後に、勉強会を続けることができなかったなら、どうなっていたでしょうか。ちょっと考えたくないですね。
とは言え、初めは、うまくいく確証もなく始めることですから、(自分の中に、一つの確信はあったとは言えるのですが、)本当にこのやり方で良いのだろうか、と不安であったことも確かです。
そんな時、スタッフのお一方に「立ち止まらず、新たな形で学ぶための素晴らしい」提案と励ましていただけました。その言葉を読んだとき、素直に嬉しく思いました。また同時に、「ああ、そうか、自分たちは、(見通しの効かない中にあって、なお工夫して)学習を継続しようとしているのだ」と、これからやろうとしていることの意味がはっきりしたことを覚えています。
自分では気づけなかったことを「ほい」と外から渡してもらえたような気がしています。
そして、そうか、この全体をして、嬉しく感じているのだな、と今、気がつきました。
年が明けて2021年、再び緊急事態宣言が発令されました。場の研究所の勉強会(大塚での対面の方)は、まだしばらく行えそうにありません。
今年も、「ネットを介した」形式での勉強会となりそうです。
さらに、問題は場の研究所だけに止まりません。
世の中を見回してみても、コロナのことを考えれば行動は控えたい、しかし、このままでは生活が成り立たなくなりそうだと言う不安な声を耳にします。
そのような中で、今年、場の研究所の「ネットを介した勉強会」は、どのような在り方が求められるでしょう。
一つは、勉強会の場を少しだけ広げたいと考えています。
しかし、無闇に増やしては勉強会の場が成り立たなくなる恐れがありますので、悩ましいところですが、いくつか試みようと思っていることはあります。
急げませんが、ゆっくりとでも前に進めるつもりです。
また、社会と勉強会との関係についても考えていきたいと思います。
言い換えれば、これは、場の研究所として、社会へどのような行動ができるだろうか、という思いです。
2020年はシンポジウムが行えませんでした。
これまでシンポジウムで発信し続けてきたことが途切れてしまいました。
できれば、2021年は2020年と併せた何らかのメッセージを発信できたら嬉しいです。
「どのような明日だったら、一緒に夢見られるだろうか」
夢という可能性の、その確信が私たちの胸の中にあり続けてくれるためには、私は、今日、何ができるでしょうか。
私が、場の研究所という、この居場所で日々考えているのは、そのようなことのような気がしています。
今年も場の研究所と「ネットを介した勉強会」をよろしくお願いいたします。
以上
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◎「ネットを介した勉強会」の12月のテーマ「相互誘導合致と共存在」の資料
(清水先生の資料)のダイジェストを紹介します。
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相互誘導合致と共存在
・相互誘導合致:旧い「全体」のなかに幾つかの新しい「部分」が生まれて、「全体」を内面から変えて生長させ、新しい「全体」を生成させる。するとまた、その新しい「全体」のなかに新しい「部分」が生まれて、「全体」を新しくしていくという〈いのち〉の法則(生きていくものの存在の法則)。
・生きていくものの特徴:この「全体」と「部分」の相互誘導合致を絶えず生成しながら生長していくところである。
⇒「全体」と「部分」の関係は居場所としての「全体」とその「部分」の「存在(〈いのち〉の表現)の関係」である。注:「存在者(存在している者)の間の関係」ではない。
⇒私たちの人生も、この相互誘導合致の形で進行していき、老化とともにその生長も変化をして、最終的には死に至る。
・自己と居場所の〈いのち〉は非分離であり、居場所の〈いのち〉を「全体」とすると、自己の〈いのち〉はその「部分」になる。
⇒「全体」の〈いのち〉の表現をドラマの「舞台」における全体的な表現とし、
「部分」の〈いのち〉の表現を、その舞台の上で即興的に表現されていく「役者」たちの表現というように、ドラマの形によって置きかえて考えることができる。
★相互誘導合致によって生まれる舞台の全体的な変化がドラマの「ものがたり」(居場所の歴史)を進行させていくのである。
ドラマの進行と共に新しい状況が舞台に現れ、さらに新しい役者や退場する役者を生みながら、舞台が広がっていくのが相互誘導合致の全体像である。この〈いのち〉のドラマの進行は、舞台において演じられていく「居場所の歴史」の進行でもある。
・地球を居場所として、このような「ものの見方」をしたとき、原初以来の〈いのち〉のドラマの進行が現実の生物進化史になっている筈である。
⇒〈いのち〉のドラマは、原初の〈いのち〉が先ず「全体」として地球に現れ、その内部にさまざまな〈いのち〉がその「部分」として出現し、相互誘導合致の繰り返しによって「生命の星」としての地球を生成してきた「ものがたり」になっていると考えられる。
★このドラマを「〈いのち〉のドラマ」と呼んでいくことに、大きな意味がある。
・地球にその〈いのち〉をもたらす活きをした宇宙の活きを、ルドルフ・オットーに因んで「聖なるもの」と呼ぶことにする。
⇒原初以来、地球を舞台にして続いてきたのは、「聖なるもの」の意志(活き)にそう〈いのち〉のドラマ。
人間は存在者としての自分たちを中心にした生活を近代文明によって強力に発展させ、地球における〈いのち〉のドラマから乖離した自分たちの存在の形をつくってきた。
★その近代文明という「存在者の文明」は、地球の温暖化現象と新型コロナのパンデミックによって「存在の文明」へと変わらないわけにはいかないと思う。人間も他の生きもののように、地球を舞台として〈いのち〉のドラマを演じていく必要があることは確かである。
・人間は地球における相互誘導合致の〈いのち〉に矛盾しない生き方をしていく必要がある。人間の〈いのち〉を巻き込んで、その居場所でおきていく相互誘導合致を、巻き込まれている人間の方から見たときに見える形が「歴史的相互誘導合致」である。
・人間自身が〈いのち〉のドラマをどう演じていくか、しっかりした意志をもっていなければ、地球全体におけるドラマについていけない。〈いのち〉のドラマはあくまで即興劇として個々の役者の意志を重んじつつ演じられていくからである。
⇒人間は原初以来の〈いのち〉を地球に広げていく形に、すなわち「聖なるもの」の「意志」をさらに進めていく方向に(「北極星」の方向に)進まなければならない。
★これからの時代の中心になっていくのは、たとえそれが小さくても、〈いのち〉のドラマの舞台となる居場所づくりであり、そのことを示したのが、前回の歴史的相互誘導合致の説明である。
Q:舞台としての居場所がつくられたときに、そこで相互誘導合致によって演じられていく〈いのち〉のドラマには、どのような特徴があるでしょうか。
A:一口に言うと、役者たちによる「共存在のドラマ」が見られるはずである。
★共存在の特徴は舞台の〈いのち〉を「一」とすると、多様な役者の〈いのち〉「多」はそれと非分離であり、またそれ故に――存在は〈いのち〉の表現であるから――役者の存在は互いに対等であるとして、西田幾多郎の矛盾的自己同一「一即多、多即一」によって表わされる。
説明:居場所とそこに存在している人びとの〈いのち〉が非分離であるということ。
その居場所に人びとが共に存在していくということは、居場所を「舞台」にして「〈いのち〉のドラマ」を共に演じていくということである。
・「〈いのち〉のドラマ」によって生れる表現には、
1.「舞台」の状況がほとんど変化をしないような短い時間(社会的時間)の間に生まれるできごと(社会的できごと)と、
2.「舞台」の状況がかなり大きく変化をするような長い時間(歴史的時間)の間に生まれるできごと(歴史的できごと)
とがある。
⇒居場所を家庭にとれば、
★社会的できごと:家族の間で日常的におきるできごと
★歴史的できごと:何年という単位で家庭の状態が変化をしていくときに生まれるできごと
⇒この二つは〈いのち〉の表現においても異なる。家族は日常的には争うことがあっても、長期的には互いに協力し、互いの立場を重んじながら相互誘導合致的に生きていくのである。
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中略
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◎近代文明がさまざまな場所で、「存在者から存在へ」の変化という形で崩れ始めていると、私は感じている。
⇒そして、あちこちで興味深い居場所づくりが始まっていて、それにともなって相互誘導合致の具体的な動きが、たとえば「おたがいさま」の運動のような形で社会的に広がり始めていたが、ここで、新型コロナの影響で、少し形を変えて社会的に広がっているのではないかと思っている。地球という居場所と多様な人々の非分離から構築していく共存在が新しい文明の基盤になっていくと思う。
(清水 博)
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以上の資料をベースに議論を行いました。場の研究所では、哲学や精神から知識を切り離さないための努力をこれからも重ねていきます。
◎「ネットを介しての勉強会」開催について
2021 年の1月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、通常の第3金曜日の15日では正月明けから余裕がないので、第4金曜日の1月22日の17時から、開催する予定です。
テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。
また、参加にご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。
(参加者の方には勉強会の資料を早めに送ります。)
なお、今年の1月以降、状況の好転があれば、イベントの開催について、臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたしますので、今後ともサポートをよろしくお願いいたします。
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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。
2021年1月10日
場の研究所 前川泰久