今回の「福島からの声」は、詩人みうらひろこさんの詩集「ふらここの涙」からの連載の4回目です。
東日本大震災から10年目を迎えました。
10年という歳月、被災地を生きる方々の想いも様々だと思います。
先月2月13日、福島県沖で震度6強の大きな余震がありました。それは10年前の出来事が一瞬にして蘇ってくるような大きな揺れでもありました。あの記憶が思い起こされるだけでも辛く、地震の被害が大きかった地域の方々の中には「ようやくここまで来たのに」と心が折れそうな想いで今をお過ごしの方も少なくないのではないでしょうか。
福島第一原子力発電所の建屋の状況も心配です。汚染水の処理も限界、そして原子炉の冷却に関する設備に、次々に起こる余震の影響はないのか、全く予断の許されない状況に現在もあるのです。
「震災はまだ終わっていない、いや終わるとか終わらないとかいうことではないのだ」ということを改めてこの自然(余震)から厳しく思い知らされたように思っています。
10年目を迎え、福島原発事故の問題から私たちは、更に何を学び、どのように未来に向かって進んでいかなくてはならないのか。この厳しい問いをこれからも続けていくことが、私たちの未来への与贈につながっていくものと思います。
壊れた場所を復旧するだけでは、未来に向けた温かな〈いのち〉の故郷を創っていくことはできません。本当の意味での復興とは何かを改めて問いかける時期に来ているのです。
今回の詩「三月の伝言板」には、私たちが、命を落とした方々への鎮魂と共に、新たな〈いのち〉の居場所を築いていく上で、決して置き去りにしていくことの出来ない、〈いのち〉の居場所の礎となる深い思いが溢れています。
本多直人
三月の伝言板
三月になると今でも伝えたい事があります
桜の開花予想が発表されたばかりの頃
大きな地震に見舞われたあの日を
私は生涯忘れることは出来ないでしょう
「先に公民館に行ってなさい
あとで迎えに行くからね」
散乱した家の中を片づけていた母が
私に残した最後の言葉でした
「ここの公民館も危ないから
もっと高台の神社まで登って下さい」
叫ぶような声に、大勢の人達に押され
心を残しながら神社まで走りました
〈神社に迎えに来て下さい〉
公民館の伝言板にメモってる暇はなかったのです
異様な音と臭いに石段の途中で振り返ると
黒い波は今しがたいた公民館を呑み込むところでした
「後ろを見るな、止まるな、早く登れ!」
声にせかされ夢中で神社の石段を登りきり
一息ついて目にしたものは
津波に流されてゆく町の姿でした
呻く声、泣き出す声、どなるような声
すさまじい喧騒の中で叫びつづけました
「お母さん、神社にいるから迎えにきて」
いくら待っても母の姿はありませんでした
神社の境内から家並みの向こうに
きれぎれに見えた海でした
今ではすっかり町は消えて
凪いだ水平線が間近く見えます
七年目の三月が巡ってきました
桜の蕾が膨らみはじめ私も大人になりました
〈お母さん、いまどこに居るの
今度は私が迎えに行きますよ〉
悴んでいた心の伝言板の文字が
潤んでくる三月です