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場の研究所メールニュース 2022年11月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

11月になり、秋らしく紅葉狩りのニュースが見られるようになりました。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

コロナの感染者数もかなり低減しましたが、また増加の傾向が出はじめて心配です。

既に、私の方に、5回目のワクチンを接種案内が来ましたが、ワクチン接種が将来も続くのでしょうか?世界中の英知を集め、何とかこの環境を乗り越えていくことを願っています。

 

さて、10月の「ネットを介した勉強会」は10月21日(金曜日)に開催いたしました。

テーマは『場所と創造』でした。

勉強会にご参加くださった方々、ありがとうございました。

 

そして、今月の「ネットを介した勉強会」の開催は従来通り、第3金曜日の11月18日に予定しております。今回で30回になります。皆様のご協力のおかげだと感謝しております。

清水先生からの「楽譜」のテーマは『与贈循環が生む民芸美』の予定です。

基本のテーマは「共存在と居場所」で進めていきます。

「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを是非参考にして下さい。

 

もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

(場の研究所 前川泰久)

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

近所の古民家園でボランティアとして参加している鍛冶の会のこと。

時々、その会の炭割りという作業のことを思うことがある。

炭割りは、火造りの燃料の炭を小さく割るその日の朝一番の作業で、作業としては詰まらない。

単調だし、汚れるし。

でも、輪になって作業しながらの雑談は、おしゃべりなSさんの話に引き込まれたりと、楽しみでもある。

その日に炭を使うもの使わないもの分け隔てなく、全員一緒になって行う作業は、お芝居の舞台の準備を総出で行っているような愛おしさを持っている。

 

「ネットを介した勉強会」の準備作業は、そういう意味では、輪になって雑談のような楽しさはない。

でも、毎月の舞台の準備、という意味では近いものがあるように感じる。

それは、あちこちに居ながら集まっているようだ。

あちこちなのに集まって、当日に集まる(と言っても、これもあちこちだが)準備が出来ていく。

スタッフも参加者もなく、一人ひとりが皆、その日を楽しみにしているかのように見える。

 

炭割りの後、火床(ほど)に火を起こして、鍛冶小屋の一日は始まり、その火を消して、一日は終わる。

 

勉強会も、見えないけど、火床の火が起こされて、始まり、火を消して終わる。

見えないけれど、それ、確かに在る、そう感じる。

 

そうそう。

鍛冶小屋の火床の火は、翌朝、火床の掃除をする時にも、まだほんのりと暖かくて、そんなところも勉強会と似ているな、なんて思う。

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10月の勉強会の内容紹介(前川泰久):

◎第29回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)

(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)

★テーマ:「場所と創造」

◇清水の学生時代の思い出

・多分、昭和30年の冬の頃か、当時私は本郷追分町にある東京大学学生キリスト教青年会(東大YMCA)の寮に住む医学部薬学科の一学生であった。

、仲のよかった文学部英文学科の百瀬泉さん(後に中央大学文学部の教授)に、夕食後に「森鴎外の屋敷の跡に新しく碑が建てられたが、景色のよいところだから一緒に行かないか」と誘われて、夜の暗い道を千駄木町まで一緒に歩いて行った。

・当時は戦災の跡も残っている状況であったし、外灯もまだ少なく、また民家は夜には雨戸を閉めていたので、夜が少し遅くになると街全体が暗くなって静まりかえるという状態であった。

・その碑のある場所へ着いてみると、それは丁度、本郷の高台の端にある場所で、目の下には遙か遠くまで黒く広がっている上野の民家があり、そのあちこちに星のようにチカチカと電灯の光が瞬いて見え、そしてその場所全体の静かさが両耳の奥にまで押し込んできて、大きな声で話をするのも、はばかれるという感じであった。

・私は「まるで暗い海を見ているように見える」と思ったが、実際、鴎外の屋敷の二階にあった書斎からは遙か向こうに東京湾が見えたので、彼はその屋敷を「観潮楼」と呼んだと言われている。その観潮楼の跡には、鴎外の『沙羅の木』という詩を刻んだ永井荷風の手になる記念碑が建てられていた。

 

褐色の根府川石に

白き花はたと落ちたり、

ありとしも青葉がくれに

見えざりしさらの木の花。

 

・百瀬さんは文学部の学生らしく、「褐色は「かちいろ」と読むんだよ」と言いながら、この詩を読んでくれた。

 

◇「根府川の海」という詩

・舞台は大きく変わるが、詩人として有名な茨木のり子に『根府川の海』という詩がある。

 

根府川

東海道の小駅

赤いカンナの咲いている駅

たっぷり栄養のある

大きな花の向うに

いつもまっさおな海がひろがっていた

 

中尉との恋の話をきかされながら

友と二人ここを通ったことがあった

 

あふれるような青春を

リュックにつめこみ

動員令をポケットに

ゆられていったこともある

 

燃えさかる東京をあとに

ネーブルの花の白かったふるさとへ

たどりつくときも

あなたは在った

丈高いカンナの花よ

おだやかな相模の海よ

 

沖に光る波のひとひら

ああそんなかがやきに似た

十代の歳月

風船のように消えた

無知で純粋で徒労だった歳月

うしなわれたたった一つの海賊箱

 

ほっそりと

蒼く

国を抱きしめて

眉をあげていた

菜ッパ服時代の小さいあたしを

根府川の海よ

忘れはしないだろう?

 

女の年輪をましながら

ふたたび私は通過する

あれから八年

ひたすらに不敵なこころを育て

 

海よ

 

あなたのように

あらぬ方を眺めながら……。

 

◇茨城のり子という詩人の生い立ちと『根府川の海』という詩について

・茨木のり子は大正15年に生まれの詩人で、父が医師であったことから昭和7年に転勤によって愛知県の西尾市に移り、やがてその地で開業する。彼女はその地の小学校に入学し、13歳で県立西尾女学校に入学、やがて学年全体を代表するような生徒となった。

・15歳の時に太平洋戦争が起こり、17歳で帝国女子医学薬学理学専門学校(現在の東邦大学薬学部)に入学、19歳の時に学徒動員によって海軍療品廠で就業中に終戦の録音を聞き、友だちと二人で東海道線を無賃乗車して郷里にたどり着いた。

・20歳のときに専門学校が再開されて、9月に繰り上げ卒業をした。

・東京で成人式に出かける前に書き上げた詩がこの『根府川の海』。

 

ここには彼女自身が懸命に生きた空しい十代における歳月が詰まっている。根府川に彼女が住んだことはなので、東海道線を友だちと帰るときに汽車の中で「中尉との恋」の話が出たのかも知れない。

 

◇二つの詩の見方について(歴史的時間)

・それにしても一方の詩では、褐色の根府川石があって、そこに白い沙羅の木の花がポトリと青葉の間から落ちた遙かに東京湾の海が見える「観潮楼」が「舞台」、そして他方の詩では、白いネーブルの花が咲く故郷の西尾市へ帰る途中に停車した赤いカンナの花が咲いてその向こうに相模湾の海が見えた「根府川の駅」という「舞台」があり、両者の間には明らかな対応がある。

・私には、鴎外の『沙羅の木』という詩が20歳の茨木のり子の『根府川の海』という詩の内在的拘束条件となったと思われる。

・それは、この二つの詩が内容的に全く異なるものであり、意味の上で「鍵穴」と「鍵」の関係(内在的拘束条件)にはならないからである。

・茨木のり子が「役者」として歌いたかったのは、空しさを感じる自分自身の十代の歳月の〈いのち〉の活きであり、それが外在的拘束条件に導かれて詩の内容を与えているのである。

・その内容を詩として歌う活きを「鍵」(「役者」の活き)とすると、「鍵穴」(「舞台」の活き)となったのは「根府川の駅」という(動名詞としての)場所的世界である。

・そして「鍵穴」と「鍵」の相互誘導合致によって創造的に生み出されたのが『根府川の海』という詩である。

・その背景に昭和という「戦争の時代」を含めて、今でも私たちをすっぽりと包んでいる「歴史的な時間」があるのだ。

 

◇創造の活きの手順と舞台における夢

・茨木のり子のこの詩は創造の活きがどのような手順で生まれるかを示している。

・先ずは表現したい内容をもっていることが必要である。彼女の場合は、一生懸命生きたけれど、意味もなく空しく過ぎ去ってしまった自分自身の十代の歳月と、そしてそれを乗り越えていく活きである。

・創造的な表現をつくるのには、次にその内容を「〈いのち〉のドラマ」の形で表現していくことが必要であり、その「ドラマ」の「舞台」を発見する必要がある。そのためには、外在的拘束条件を発見しなければならない。外在的拘束条件は詩の形を大きく決める。

・彼女は、自分が詩として表現したい内容が『沙羅の木』という詩の形に収まると直観的に見抜く非凡さをもっていたと言える。それは自分の未来を含めて空しく過ぎ去った過去を歴史的に眺めていたことから生まれたと言えよう。

・そのように見ることで、「根府川の駅」は小さいながら、燃えさかった東京と白いネーブルの花が咲く故郷をつなぐ重要な意味をもってくる。

・それは「根府川の駅」を場所的世界として、その動名詞的な活きの中で、自己自身の過去と未来を新しい歴史的観点によってつないでいくということである。そしてその「〈いのち〉のドラマ」を生む相互誘導合致の「鍵穴」となると期待されるのが「根府川の海」であり、その「鍵」となるのが彼女自身のこれからの人生である。

→創造によって、「舞台」に夢が生まれるのである。

 

◇創造の場所的世界

・創造とは、場所的世界の活きを開いてその〈いのち〉の場を広げて、自己の〈いのち〉の活きを包み、相互誘導合致によって全く新しいものにしていく活動であることが分かる。

・その相互誘導合致を自己の方から見ると、自己の存在を場所に投げ入れることによって、動名詞としての場所の活きが既存の限界を超えて飛躍的に変わり、これまで存在していなかった新しい世界が見えてくるように感じられる。

・場所的世界の〈いのち〉が先導的に動けるようにしていることが必要であり、生活体が場所を自分の方に引きつけて過ぎていると、そのことがかなわない。

・『根府川の海』という詩を『沙羅の木』という詩と合わせて味わうと、そのことが分かりるが、先月の勉強会で取り上げた永井陽子の

 

ひまはりのアンダルシアはとほけれど

とほけれどアンダルシアのひまはり

 

にも、先導的に創造的な変化をする場所的世界の活きが表現されている。

 

◇新しい時間の生成の重要性

・「〈いのち〉のドラマ」が自ら生み出す時間の生成と共に進むことから分かるように、創造にとって必要なことは新しい時間の生成である。

・そしてそのために必要なことはその場所的世界の外在的拘束条件が維持されていくことである。維持されないと、創造の代わりにカオスが生まれてしまう。

→創造とは新しい秩序の生成であり、カオスとは異なる。

・場所的世界が時間を生成する例として分かりやすいのは、歴史的時間の生成である。場所的世界における歴史的ドラマの進行とともに、その歴史的時間は生成されていく。

・その歴史が続いて行くために必要なことは、場所的世界の外在的拘束条件が継続的に維持されて、その世界の秩序が維持されていくことである。

→そのことがあって、〈いのち〉のドラマが内在的拘束条件にしたがって進行していくのである。

・二つの詩の関係はそのことを示している。『根府川の海』という詩の根底には、『沙羅の木』という詩と同様、場所的な平安の維持がある。

(場の研究所 清水 博)

 

以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)

 

               

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◎2022年11月の「ネットを介した勉強会」開催について

11月の勉強会ですが、最初にお知らせ致しましたように、従来通り第3金曜日の18日に開催予定です。よろしくお願いいたします。

今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。

 

場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外に「哲学カフェ」などのイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。

今後ともサポートをよろしくお願いいたします。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2022年11月1日

場の研究所 前川泰久