今回の「福島からの声」は、詩人みうらひろこさんの詩集「ふらここの涙~九年目のふくしま浜通り~」から「陸奥(みちのく)の未知」という詩をご紹介させて頂きます。
ロシアによるウクライナ侵攻は、ますます長期化の様相を呈し、新型コロナウィルスの蔓延も規制緩和が為されてきたとはいえ、まだまだその終息は見えてきません。
こうした問題は世界経済の混乱だけでなく、未来の環境問題にも大きな影を落としています。
東日本大震災から12年を迎えた今、私たちに何が問いかけられているのでしょうか?
日本ではCO2問題を盾に取っているかのように、原発の再稼働の機運が高まりつつあります。先日もニュ-スを見ながら「空のCO2が数値の上で少なくなれば、大地が汚染され、故郷が奪われ続けても良いのか!」と思わず声を上げてしまいました。
福島の原発事故の問題に学ばず、深い反省の見えない原発依存回帰のような日本の動きには、強い怒りと憤り、そして情けなさすら覚えます。
「福島からの声」は私たちの〈いのち〉の居場所からの声です。私たちはこの声を風化させることなく、一人ひとりの〈いのち〉の問題として世界に警鐘を鳴らし続けていく努力をこれからも決して怠ってはならないと思います。
みうらさんの今回の詩、「陸奥の未知」を読み返しながら、そのことを改めて感じさせられ、身が引き締まる思いでこの文章を書いています。
本多直人
陸奥の未知
みうらひろこ
ふり返ると穏やかな陽射しに
陽炎が揺れている町だった
大地震のあとの津波禍の土地は
泡立草が蔓延った荒野と化し
異郷のような禍禍しさに涙した日々
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
賢治の詩と出会ってから
東北の農民は朝夕 呪文のように唱え
身をふるい立たせ
汗と泥にまみれて戦ってきたのだ
福島がフクシマとよばれてから
地震ニモ津波ニモ負げず
原発事故後に降り注いだ
セシウムの雨ニモ負げず
風評被害ニモ負げず
根雪を溶かす大地のような意志で
私の郷の人々は戦っている
石もて追わるる如く
故郷を我れ先にと脱し
ハイマ-ト・ロスにされて七年
汐風の匂いが恋しくて
水平線の彼方に想いを馳せたくて
牛が草喰む緑の大地を踏みしめたくて
老いた人達が少しずつ帰ってきた
志半ばで逝った町長が頭した理念
”町のこし”
日本のどこに住んでも浪江町民の
呼びかけは全町民二万一千人避難民の
私の胸にもつき刺さっているのだが
原発事故後の廃炉作業は
未だスタ-トラインに立ったばかり
現場での未知の作業と戦っている人達
汚染水が貯まりつづける立林のタンク
トリチウムなる処理も未解決のまま
あの事故は無かったことにされそうな懸念
ほどなく九年目に入る核災棄民
誰に向かって叫べばいいのか
美しかったみちのくを返せ
私達の町や村や平和だった日々を返せ
陸奥は未知の事でいっぱい
復興作業も
原発事故後の復旧工程も
*1 石川啄木の短歌を参考
*2 ドイツ語で故郷喪失
*3 馬場有氏 2018年6月死去
*4 若松丈太郎氏の造語