このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。
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■場の研究所からのお知らせ
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皆様
6月になり、今年は早めに梅雨になった地域も多いようですが、いかがお過ごしでしょうか?この季節は雨のおかげで新緑が輝いて見え、心が豊かになります。
コロナについては、5月から実質の規制緩和となっていますが、まだワクチン接種も継続しており、やはり自己防衛は欠かせないと思います。
さて、場の研究所の第36回「ネットを介した勉強会」は、5月19日(金曜日)に開催いたしました。「楽譜」のテーマは『生命と〈いのち〉』でした。勉強会にご参加くださった方々、ありがとうございました。
なお、「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースの内容を是非参考にして下さい。
そして、6月の「ネットを介した勉強会」の開催は従来とは異なり、第4金曜日の6月23日に予定しております。少々早めですが、よろしくお願いいたします。清水先生からの「楽譜」のテーマは『場をホスト―ゲスト問題として考える』の予定です。
もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。
contact.banokenkyujo@gmail.com
メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。
(場の研究所 前川泰久)
・2023年5月の勉強会の内容の紹介:
◎第36回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)
(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)
★テーマ:『生命と〈いのち〉』
◇〈いのち〉を基盤にした考え方
・場の研究所の特徴は、〈いのち〉を基盤にして、場やその場によって包まれる私たちの存在を考えていることであり、場所への〈いのち〉の与贈とその与贈によって場所に生まれる〈いのち〉の与贈循環を、私たちが生きていくためにもっとも大切な活きとして考えていることである。
・〈いのち〉を基盤にして考えていくことは、まだ科学的に解明されていない生命を基盤にして、私たちの存在を考えていく社会一般の傾向と異なって論理がはっきりしているので、理論的(科学的)に考えを進めやすいという重要な特徴がある。
◇生命と〈いのち〉の違い
・〈いのち〉は生活(生活体の存在)を継続するようにはたらく能動的な活きとして定義されている。
→したがって、〈いのち〉の活きは生命の活きを包含するが、生命とは異なる。
・たとえば受精していない卵子や精子には〈いのち〉があるが、生命はない。
・〈いのち〉には、〈いのち〉の場所があり、〈いのち〉をもったもの(生活しているもの)がその場所において自己の〈いのち〉を場所に与贈すると、〈いのち〉の与贈循環が場所に生まれて、自己の存在が場所から与贈される〈いのち〉の場に包まれて、存在が継続的に維持される。そのために自己の存在が安定し、安心感が得られるのである。
◇〈いのち〉のつながりを求める生き方の広がり
・〈いのち〉が個人の生命の活きである生と死を越える能動的な活きであることから、不安定な生命の不安から逃れるために、〈いのち〉の場所へ一緒に〈いのち〉を与贈することで生成する〈いのち〉の与贈循環が生み出す〈いのち〉の場に共に包まれることで落ち着く生き方---多様な人びとの間に〈いのち〉のつながりを求める生き方---が最近は社会に広がっている。
→多分、皆さんご自身にも経験があると思う。
◇浄土真宗における〈いのち〉の与贈循環
・〈いのち〉が生命を包む活きであることから、生と死の不安から逃れる活きとして〈いのち〉の与贈循環は幾つかの宗教に救済の原理として取り入れられている。なかでも親鸞が説く浄土真宗の教えとは、一枚の紙の表裏のように直接的な対応関係があり、〈いのち〉を基盤にする科学的な論理によっても、その教えを説明できそうに思われる。
・対応関係からいうと、〈いのち〉の場所が浄土、〈いのち〉の与贈が「南無阿弥陀仏」、〈いのち〉の与贈循環が浄土との往相(おうそう:浄土に往生すること)と還相(げんそう:往生して仏になったのち、再びこの世にかえって利他教化のはたらきをすること)の二種の回向による救いに相当する。
→つまり、「南無阿弥陀仏」による存在の救済を無量寿経という経典に求めるという伝統的な方法に加えて、〈いのち〉の科学からも直接的な裏づけが得られることになったのである。
・親鸞の浄土真宗の救済の重要な点は、浄土真宗を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えたときに、生きているその状態のまま浄土に救われることが確実になるという点である。
→つまり、浄土へ行くために死ぬ必要はないのである。
・さらに浄土へ向かう往相回向ばかりでなく、浄土からこの俗世へ戻って人びとを救済する還相回向が加わる形によって---与贈循環の形になることによって---南無阿弥陀仏に救済されるということである。
◇生命の場所から〈いのち〉の場所へ
・生命の法則がはたらいている「生命の場所」から〈いのち〉の法則がはたらいている「〈いのち〉の場所」に自己の存在を移すためには、どうすればよいだろうか?
→そのためには〈いのち〉の場所(つまり浄土)へ自己の〈いのち〉を与贈することが必要である。そうすれば、〈いのち〉の与贈循環に包まれて〈いのち〉の場所である浄土の住人になる。
・親鸞によれば、無量寿経の体(実体)は「南無阿弥陀仏」という念仏である。その「南無阿弥陀仏」が〈いのち〉の科学の〈いのち〉の与贈に相当するのである。
・無量寿経によれば、すべての存在の救済を願う法蔵菩薩は五劫という無限に長い時間の間考え続けて、自分自身が浄土への〈いのち〉の与贈である「南無阿弥陀仏」になることを思いついたことが認められて、その阿弥陀如来になったのである。
◇自己の存在の考え方について
・私自身の〈いのち〉を考えても、その能動的な活きはこれまで歴史的に存在してきた多くの〈いのち〉を往相回向と還相回向によってこの身に合わせるようにして受け入れてきたものである。
・また私の〈いのち〉は死によってすべて消えるものではなく、いろいろな形をとって続いていくものである。
・清澤満之は「自己とは何ぞや。これ人生の根本的問題なり。自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗託して、任運に法爾にこの境遇に落在せるもの、即ち是なり」と言っている。
→〈いのち〉という観点から自己を見れば、これ以外の見方はできない。
・ここで念のために強調しておくと、自己の存在を生命という観点から捉えようとする際は、清澤のような見方は生まれない。
・私たちが浄土真宗のような宗教を理解できず、社会的な常識を基盤にした自分自身の存在に合うか合わないかによって、宗教的真理の正否を判断しようとすることが多いのも、生命を基盤にして自己の存在を考えているからである。
・しかし、〈いのち〉を基盤にして自己の存在を考えることにすると、〈いのち〉をいただいて今ここに生きている自己自身の存在の理解が根本から変化する。
→その結果として、見えてくる世界が親鸞の浄土真宗の世界である。
◇〈いのち〉の与贈循環の重要性
・〈いのち〉をいただいて今ここに生きている自己自身の存在の理解が根本から変えるのが与贈循環である。この変化がおきるために必要なことは〈いのち〉の場所(浄土)への自己の〈いのち〉の与贈である。
・浄土真宗では、その〈いのち〉の与贈が「南無阿弥陀仏」という形で仏の方から与えられているということが大きなポイントである。
・この与贈によって世界が基盤から変化して、〈いのち〉の与贈循環が生まれる。その具体的な形が親鸞の発見による往相回向と還相回向の活きである。
・「南無阿弥陀仏」によって、これまで無限に続いてきた〈いのち〉の与贈循環のなかに自己の存在が位置づけられて続いていくことになる。
◇〈いのち〉の場所の変化について
・〈いのち〉の与贈循環のなかに自己の存在が位置づけられて続いていくことは、物理的な時間のように時間が直線的に進んで行く状態から、〈いのち〉の場所を円環的に変化していく状態に変わるということを意味している。しかしそのことは〈いのち〉の状態がまったく変化しないということではない。
・〈いのち〉の場所のなかでも、免疫現象や生物進化などで知られるように、歴史的な変化がおきていく。〈いのち〉の重要な性質は存在の継続であって、変化をしないということではない。
・その逆に、歴史的な変化が見られるということは、〈いのち〉の場所に存在しているということなのである。
◇時間的相互誘導合致の重要性
・存在の性質が互いにまったく異なる多様な生活体は、それらが共に存在しようとしている場所を未来の方から場所の〈いのち〉に一緒に包まれることによって、「一即多、多即一」の状態をつくって調和的に共存在することができる。(「時間差相互誘導合致」の原理)
・しかし、もしも未来の方から包んでくる場所の〈いのち〉がなければ、その存在が相互に異なる多様な生活体は一緒に存在できない。
→したがって、一緒に存在するということは、〈いのち〉の場所において自己の〈いのち〉を未来に向かって与贈するということになるのである。
・このことが〈いのち〉の場所に生物進化のような歴史的進化が未来に向かって生まれていく原因なのである。また私たちの身体に、相互に異なるそれぞれの存在をもった多様な臓器が一緒に存在していく共存在の原理にもなっている。
・幾つかの宗教の間で深刻な宗教的紛争がおきてきたのは、宗教的に定義される〈いのち〉の場所が狭すぎるために、この共存在の原理である「時間差相互誘導合致」が実質的に排除されてしまうことが原因なのである。
◇共存在の原理
・ロシアのプーチン大統領が始めたウクライナでの戦争によって、世界のあり方が大きく変わろうとしている。しかし、プーチンが仕掛けているこの戦争は、地球の未来に向かって多様な価値観をもった人びとがおこなうべき〈いのち〉の与贈を排除して、自己中心的に変えていくという特徴があり、その〈いのち〉の場所の狭さから、一種の宗教戦争のような形をつくっているのである。
・地球という〈いのち〉の場所において必要なのは、共存在の原理、すなわち〈いのち〉の場所である地球の未来へ向かって多様な人びとがおこなう〈いのち〉の与贈である。
・浄土真宗で云えば、「南無阿弥陀仏」である。そのことによって生まれる「時間差相互誘導合致」こそが、今後の世界文明をリードする原理にならなければならないのである。
◇広い視野の必要性
・浄土真宗も、また〈いのち〉の科学も、原理が実質的に変わらなくても、互いを知ることによって異なる世界の景色を見ることができる。
・これから地球の上で様々な価値観を持った人びとが一緒に生きていくためには、一つの見方に拘束されて世界観を固めてしまわないことが必要であると思う。
・遠くの方を広く眺めようとすれば、異なる景色の間に共通する何かを発見する必要がある。
以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)
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◎2023年6月の「ネットを介した勉強会」開催について
2023年6月の勉強会ですが、最初にお知らせしましたように、従来とは異なって、第4金曜日の23日に開催予定です。よろしくお願いいたします。
今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。
この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。
参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。(参加費は無料です。)
場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外に「哲学カフェ」などのイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。
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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。
2023年6月1日
場の研究所 前川泰久