このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。
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■場の研究所からのお知らせ
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皆様
8月になりました。毎日暑い日が続いています。何とか熱中症にならないように頑張りたいと思います。
コロナについては5月以降、規制緩和となっていますが、徐々に感染拡大もあり、リスクに対しては自己防衛と体調管理しかないようです。
さて、場の研究所の第38回「ネットを介した勉強会」は、7月21日(金曜日)に開催いたしました。「楽譜」のテーマは『生命の誕生と場』でした。ご参加してくださった方々、ありがとうございました。
なお、「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースの内容を是非参考にして下さい。
そして、8月の「ネットを介した勉強会」の開催ですが、今年は特に暑いということもり、夏休みを取らせていただきたいと思います。従って、次回は9月になります。開催日は第3金曜日の9月15日を予定しております。よろしくお願いいたします。清水先生の「楽譜」のテーマは『〈いのち〉のドラマと時間』の予定です。
もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。
contact.banokenkyujo@gmail.com
メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。
(場の研究所 前川泰久)
・2023年7月の勉強会の内容の紹介:
◎第38回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)
(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)
★テーマ:『生命の誕生と場』
◇「場とは何か」ということの捉え方について
・前回の勉強会では、「場とは何か」を生命から引き出す理論をつくることはできないが、〈いのち〉から出発してホスト━ゲスト問題の形をつくれば、場とは何かを普遍的な形で明らかにすることができるという説明をした。
・それは、生命から出発して場を説明できないのは、場の活きによって生命が生まれるからであり、論理的に順序が逆になるからである。
・このことは、場の活きを使えば、ホスト━ゲスト問題の形で、生命の生成を論理的に考えることができるということを意味している。
◇生命におけるホスト━ゲスト問題について
・このような形で生成される生命は、細胞から始まって、多細胞の動物や植物、さらにはたとえば私たちの家庭、企業、国家、そして最終的には地球そのものというように、様々な分野とレベルに広く存在している。
・前回考えた私たちの家庭であるが、昔はいざ知らず、少なくとも現在の社会的状況では、夫と妻の内のどちらかを居場所におけるホストとして考えることはできない。そこで両者がよく話し合って、「ホスト」の活きを家庭につくり出し、それぞれはその「ホスト」の下での「ゲスト」として、家庭という〈いのち〉の居場所を中心に振る舞っていくということになると思う。
・そしてその「ホスト」が家庭生活という「〈いのち〉のドラマ」の「監督」に相当することになる。その形は、憲法という「ホスト」の下における国民の生活に少し似ている。
・新しい家庭の生成は新しい生命の誕生であり、そこにその生命の歴史が生まれていく。「舞台」に場という状態が家庭に生まれなければ、〈いのち〉のドラマは継続して行かないので、生命の誕生はおきないということになる。
◇円環的時間について
・「ドラマ」が生まれるということは、時間が生まれるということを意味している。
・それは場所の歴史的時間に相当するが、直線的に進行する物理的な時間ではなく、未来の方に生成的に進行するばかりでなく、生成されていく状態が過去の状態とも整合しているかどうか━つまり、歴史的に整合しているかどうか━を確かめながら進んでいく未来と過去の間を円環的に循環しながら進んで行く円環的時間である。
・この〈いのち〉のドラマの円環的な進行は、親鸞の浄土真宗の往相回向と還相回向の循環と同じ形をしているのである。
◇時間差相互誘導合致について(場を介して互いに関係することで調和的につながる)
・〈いのち〉の活きから生命が生まれるということの基盤には、このように歴史的時間の絶え間のない生成ということが存在していなければならない。また歴史的時間は円環的時間でなければならない。その円環的時間は場所における場の活きによって生成されるものである。
・私たちは過去の勉強会で「時間差相互誘導合致」を取り上げたが、それは次のような事実とも関係している。
・私たちの腹腔という場所には、性質が相互にまったく異なる多様な臓器が一緒に調和的に存在している。そのような存在ができるのは、それぞれの臓器が腹腔(身体)という場所を媒介にしてつながっているからである。直接的につながろうとすると、性質がまったく異なるために、互いに反発して共存在できない存在者が、場所を介して互いに関係すると、調和的につながることができるのである。
・それは、場所に場の活きが生まれ、それによって円環的時間が生まれるから共存在できるのである。「一即多、多即一」(西田哲学)の矛盾的自己同一で表現される状態に相当する。
・円環的時間のなかで生まれるこの相互誘導合致状態を「時間差相互誘導合致」と名づけている。
◇場所的共存在を進めていく活きとしての時間差相互誘導合致
・生きている限り、臓器は様々な病気にかかる。深刻な状態では、手術や臓器移植もおこなわれる。このようなことから分かるように、身体という場所における臓器の共存在は、最終的には安定した調和に向かわなければならない。
・そのためには、相互誘導合致のように安定した状態に向かって〈いのち〉のドラマを進めていく活きが身体(場所)に必要になる。
・そこで現在における存在状態(相違)を出発として、多様な「役者」が同じ「舞台」(場所)において円環的時間のなかで場所的共存在を進めていく活きを時間差相互誘導合致と名づけて勉強してきた。
・繰り返しになるかも知れないが、時間差相互誘導合致の一番重要な点は、歴史的時間である円環的時間がホスト━ゲスト問題の形で生まれるということ、つまり時間差の生成である。
◇円環的な時間の流れと共に起きる変化
・〈いのち〉のドラマを流れる時間は、場所の過去と未来を円環的につなぎ続ける歴史的時間である。
・この円環的な時間の流れとともに、場所の旧い状態が消えて、新しい状態が生まれることが歴史的時間の生成に他ならない。
・言いかえると、場所の歴史的な変化がおきるのである。その歴史的変化では過去が消えて未来が生まれるので、旧い物質的な状態が消えて、新しい物質的な状態が生まれる物質的な面での新陳代謝がおこる。そのことがあって歴史が進み、〈いのち〉のドラマが進行していくのである。
◇〈いのち〉の与贈循環によりおきる流れ
・場所に生命が生まれて「〈いのち〉のドラマ」が進行していくことを、〈いのち〉と場の活きから考えていくためには、ホスト━ゲスト問題の場所に〈いのち〉の与贈循環によって〈いのち〉のドラマが生まれて、歴史的な時間や物質の流れがおきることが中心になる。
・さらに具体的には、情報やエネルギーの面でもこの場所的変化を具体的に出現させるために必要な変化がおきて、それが歴史的に継続して行くことが必要である。
◇高齢者(清水自身)の円環的時間について
・人生を長く生きて、私のように90歳を越えると、〈いのち〉のドラマも終わりに近づき、未来の夢を考えることができなくなり、これまでのように円環的時間が生まれにくくなってくる。
・ほんの僅かしか残っていないにしろ、「残されている未来における自己」を気兼ねなく思うことができたのは、私の場合は88歳までである。
・90歳の現在では、「残されている未来」はもうほとんど無くなったという思いが強くなり、元気で生きていられる間に自分に課せられている責任をできる限り果たしていこうという思いで生きている。
・私の〈いのち〉のドラマには、現在までの生と近い未来における死の間に円環的時間が生まれて自己を前に進めているのである。
・私の場合は場の活きは大きく変わらず、むしろ深まっていくが、90歳になった頃からモノとエネルギーと情報の活きが自分から急速に失われていき、生命を支えている力が無くなっていくことが実感されている。
・その変化がこれまで自己の人生で体験した生命の変化のなかでも、最も速いものであることが未来に向かってどこまでも夢をいだいて生きていく自信を失わせていく。しかし、その自己に未来に向かって生きていく気持ちを与えて、支えている活きがある。
・それはホスト━ゲスト問題の形でおこなわれてきた〈いのち〉の与贈循環によって生まれた場の活きであり、私の場合は、それは家庭という場所における妻との生活、そして場の研究所を中心にした場所における何人かの人びとからの支え合いの活動によって生まれてくるものである。
・その〈いのち〉の与贈循環が円環的時間を私に贈ってくれるのである。それらは人生における最高のプレゼントである。
・言いかえると、人生は最終的には〈いのち〉の与贈循環によって支え合うものである。
・一般に場所を生命の拠り所として何人かの人が生きていこうとする時には、先ずその場所における「ホスト」を見出して、ホスト━ゲスト問題の形をつくって一緒に生きていくと、自然に〈いのち〉の与贈循環が場所に生まれて、場の活きによって〈いのち〉のドラマが自然に進行する。
◇生命は消えても〈いのち〉はなくならない
・死は生命の終わりを意味しているが、それを〈いのち〉の活きから考えると、地球という場所の〈いのち〉からいただき、そして場所によって支えられてきた生命を、もとの場所に〈いのち〉として返していくことである。
・地球という場所に場所の〈いのち〉が続くかぎり、生命は消えても、〈いのち〉がなくなることはない。その〈いのち〉は数えることができない〈いのち〉、すなわち無量寿である。
・そして、そこに地球を「ホスト」として生まれる時間差相互誘導合致の活きが続くかぎり、生命も何らかの形で続いていくと思われる。
◇無量寿経の解釈と私(清水)の生命論
・このような観点から自己の存在をその生と死を含めて考えていこうとすると、「ホスト」としての地球の〈いのち〉を阿弥陀如来と見立てて、ホスト━ゲスト問題の物語的表現として無量寿経を見ることは無意味ではないと思う。
・信じるか、どうかは別として、親鸞の無量寿経の解釈は、上記の私の生命論と論理的には同じ形をしている。それは日本の場の文化が生み出した宗教であると思う。
以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)
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◎2023年9月の「ネットを介した勉強会」開催について
2023年9月の勉強会ですが、最初にお知らせしましたように、8月は夏休みで開催せず、9月の第3金曜日の15日に開催予定です。よろしくお願いいたします。
今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。
この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。
参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。(参加費は無料です。)
場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外に「哲学カフェ」などのイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。
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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。
2023年8月1日
場の研究所 前川泰久