このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。
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■場の研究所からのお知らせ
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皆様
11月になりました。朝晩の寒さがすがすがしい気持ちにさせてくれます。世の中は戦争が相変わらず続いていて、双方とも憎しみの連鎖がおこり、底のない泥沼に入っていくことに何もできない自分の力不足を感じています。
そして、コロナに加えインフルエンザについても、残念ながら感染拡大傾向ですので、是非、体調管理をして行きましょう。
さて、場の研究所の第40回「ネットを介した勉強会」は、10月20日(金曜日)に開催いたしました。「楽譜」のテーマは『AIの論理を超える場の理論』でした。この勉強会も40回を数えることができ、大変嬉しく思っております。これもご参加してくださった方々、優しく見守ってくださっている皆様のおかげだと感謝しております。
今回の「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを是非参考にして下さい。
そして、11月の「ネットを介した勉強会」の開催は第3金曜日の11月17日を予定しております。よろしくお願いいたします。清水先生の「楽譜」のテーマは『場所と居場所』の予定です。
もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。
contact.banokenkyujo@gmail.com
メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。
(場の研究所 前川泰久)
・2023年10月の勉強会の内容の紹介:
◎第40回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)
(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)
★テーマ:『AIの論理を超える場の理論』
◇フェイク情報から守る方法について
・Chat GPTをはじめ生成系のAIが、性格的に合うのか岸田首相をはじめとして、日本の社会では広く受け入れられていくように見える。
・しかしその反面、生成系AIによって、フェイク情報が溢れる社会が生まれることも心配されている。
・そうなれば、フェイク情報によってかき回されるような世界を生きていくことになる可能性がある。
→そのような場合に、場の理論は人間の心を溢れるフェイク情報から守る方法を示してくれる可能性がある。
◇前回の勉強会の振り返り(「〈いのち〉のドラマ」)
・先月の勉強会では、場の理論と「〈いのち〉のドラマ」の関係を取り上げ、私たちが存在している場所を「舞台」とし、私たち自身がその「舞台」で「〈いのち〉のドラマ」を演じていく「役者」になって生きていく形をつくるということを取り上げた。
・その「ドラマ」は私たちの〈いのち〉を場所へ与贈することによって〈いのち〉の与贈循環とともに場所に生まれる円環的時間によってもたらされる活きである。
・場所における私たちの「役者」としての存在は、その「ドラマ」の主題をホストとすると、そのホストに対するゲストに相当する。
・我々が様々な場所において「〈いのち〉のドラマ」として人生を生きていく上で、その主題であるホストの発見は最も重要な課題になる。
◇「〈いのち〉のドラマ」を円環的時間とAIの直線的時間
・「〈いのち〉のドラマ」を円環的時間とともに示すことこそ、私たちの存在にとって重要な活きになる。
・私(清水)がもっとも心配していることは、いま大きな話題になっている生成系のAIには円環的時間をつくる活きがないために、人生の真実から離れたフェイク情報に人びとが振り回される状態が生まれなければよいが・・・ということである。
・AIの論理を調べると、ニューラルネットを何段階にも使って、全体を細かく「分けていく」という分解の操作と、分けて出てきた部分を与えられた条件のもとでニューラルネットの活きで今度は統計的に最も確かな関係にしたがって結びつけていくという統合の操作によって答えを出していく2種類の操作の組み合わせでできている。
・これらの操作に必要なのは、コンピュータを前へ進めていく直線的時間であり、円環的時間はその活きの発生を邪魔してしまうのである。
・生成系AIの活きと「〈いのち〉のドラマ」とは、ミヒャエル・エンデの童話『モモ』の時間貯蓄銀行の活きと女の児モモの活きの関係のように、互いに論理的に矛盾してしまうので、一緒に使うことはできないのである。
◇「〈いのち〉のドラマ」の最も短い日本語表現としての俳句
・このことをもう少し、具体的に考えてみることにしよう。
・「〈いのち〉のドラマ」の最も短い日本語表現として、私は松尾芭蕉の俳句を頭に浮かべる。それはホストとゲストそして両者を「舞台」としてつなぐ場所の活きから構成され、「〈いのち〉のドラマ」全体を僅か17文字で表現するのである。
・たとえば、先ず
古池や 蛙飛び込む 水の音
閑かさや 岩に染み入る 蝉の声
夏草や 兵どもが 夢の跡
を例にとって考えてみると、「古池」、「閑かさ」、「夏草」は「舞台」におけるホストであり、「ドラマ」のテーマに相当する。
また「水の音」、「蝉の声」、「夢の跡」はそれぞれゲストになる。
・そしてそれぞれのホストとゲストの間にあるのが、両者をつなぐ「舞台」の相互誘導合致の活きである。この活きは円環的時間によってホストとゲストをつないでいる。
・これを直線的時間によってつなぐと、ホストとゲストは原因と結果の直線的な因果関係になってしまうので、ホストをテーマとした「〈いのち〉のドラマ」を表現することはできず、表現に内部矛盾が生まれてしまう。
・このことは、円環的時間の上に成り立っている俳句は直線的時間の上に成り立つ生成系AIによっては生み出すことができない形となっているということを示している。
・芭蕉の芸術的な創造力はそれぞれの句のホストを見出すところではたらいたと思われる。これらの句のホストの深い意味はゲストからの活きを受けて現れるものであるから、円環的時間の中でなければ出現することはできない。
・たとえば、
古池や 蛙飛び込む 水の音
では、ホストの「古池」は池が生まれた久しい昔から続いてきた静寂な世界であり、その世界へ蛙が一匹飛び込むことによって立てた水の音はすぐかき消えて、また元の静寂な世界へ戻ってしまう。
これがホストとゲストが円環的時間の上でつながることによって表現できる「〈いのち〉のドラマ」である。
閑かさや 岩に染み入る 蝉の声
では、この静寂の世界を「閑かさ」として直接的に表現している。そして「水の音」に相当するのがここでは「蝉の声」である。蛙が古池に立てた「水の音」はすぐ消えて、静寂な世界が戻るが、「蝉の声」は「岩に染み入る」ことで「閑かさ」を生み出す。そう言う意味で、この句では円環的時間が直接的に表現されている。
夏草や 兵どもが 夢の跡
は芭蕉が平泉を訪れたおりに読んだ句であり、源義経とともに滅んだ奥州藤原氏一族のことを「兵ども」と表現していると思う。「夏草」はかって三代にわたって夢のように栄えた奥州の場所にそれ以前の静寂な世界が戻った状態であり、「夢の跡」は「水の音」に相当する。前の二つの句と共通する哲学がこの句の根底にも流れている。それは「〈いのち〉のドラマ」の根底を流れる円環的時間の思想から生まれる哲学である。
・ここに上げた三つの句は共通した存在の哲学から生まれているが、しかし例えば
山路きて 何やらゆかし すみれ草
という句や
草臥れて 宿借るころや 藤の花
という句では、「すみれ草」と「藤の花」がそれぞれ別の思いをホストとしたゲストとして、ホスト-ゲストの関係をつくっている。
◇「いま」、「ここ」の思いを懐いて創造された俳句が現代まで伝えられる
・これらの句とは内容的に離れた「〈いのち〉のドラマ」を表現しているが、有名な
旅に病んで 夢は枯野を かけ巡る
という句は旅先で亡くなった芭蕉の辞世の句と言われている。「たった一回だけの人生を生きて「いま」、「ここ」に確実に存在している」という思いは、昔から人びとが懐いて生きてきたものであり、それだからこそ、人類の歴史とともに宗教が見られるという事実が生まれている。
・その「いま」、「ここ」の思いを懐いて創造的に生まれるのが、芭蕉の俳句の重要な特徴になっているのだが、「枯野」を「かけ巡る」とは、その確実な「いま」、「ここ」が見当たらない世界を駈けるようにしてあちこちと存在を探している頼るもののない自己の状態である。
・したがってこの句は旅先の病床で、「いま」、「ここ」にあるべき自己の存在を失っている限界的な状態を表現していると思う。
・これは人生というたった一度だけ経験する「〈いのち〉のドラマ」の最後に近い状態である。「〈いのち〉のドラマ」を人生の最後までこのように表現した芭蕉の創造性はこの句を現代にまで伝えていると思う。
◇生成系AIのはたらく直線的時間には「〈いのち〉のドラマ」は生み出せない
・私がここで書きたいことは、松尾芭蕉のよく知られている俳句を例にして、人間の創造的活動そのものが円環的時間の上に「〈いのち〉のドラマ」の形をとって現れることの説明である。
・生成系AIがはたらく直線的時間は、ものごとの客観的な表現には適しているが、人間の創造的活動そのものである「〈いのち〉のドラマ」を生み出すことはできない。
・このことは場の文化の日本に限定される話ではない。たとえばプラトンの『饗宴』では、饗宴の場に最後に登場してエロスの哲学的な思想を生み出していくソクラテスの創造的な姿がいきいきと描かれている。
・また童話『モモ』の作者のミヒャエル・エンデの思想も、このようなことを踏まえていると思う。人間が活き活きと生きていくために必要なことは、円環的時間の上で出現する「〈いのち〉のドラマ」にどのようにして近づくかということである。
◇AIは活用するが人間が従うものではない
・もしも生成系AIの活きが心配な状態になってきたら、私たちはホストとゲストの相互誘導合致の活きから「〈いのち〉のドラマ」を創造的に生み出していく場の思想の理論に立って世界全体を眺めて、直線的な時間の上での競争を超える創造的な活動を目指すべきである。
・生成系AIは人間の創造性にネガティブな影響を与えない範囲で活用すべきものであり、人間がしたがうものでは絶対にない。
・そのために、場の活きを直接考える場の思想の理論は、今後ますます重要になってくると思う。
以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)
〇清水先生からのコメント:
生成AIは今後も発展して、広く使われていくでしょう。しかし、それは「意味の世界」を外れたところで論理的に組み立てられた一種の情報機械ですから、便利である反面、その便利さ故に人々は常に充たされない思いをいだくことになるでしょう。そこで、存在の「意味」を深める動きが必然的に社会に現れ、そうした人々はホストを求め、それを社会に表現していく「場」を求めるでしょう、
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◎2023年11月の「ネットを介した勉強会」開催について
2023年11月の勉強会ですが、最初にお知らせしましたように、第3金曜日の11月17日に開催予定です。よろしくお願いいたします。
今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。
この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。
参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。(参加費は無料です。)
場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外に「哲学カフェ」などのイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。
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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。
2023年11月1日
場の研究所 前川泰久