今回の「福島からの声」は、詩人みうらひろこさんの詩集「ふらここの涙~九年目の福島浜通り~」から「翡翠」をご紹介させて頂きます。
11月の場の研究所勉強会では、「場所と居場所」をテーマに会が進められましたが、そこでは、「存在者の世界」と「存在の世界」の違いについても、皆さんと考える時間を持ちました。詳細については、紙面上、割愛させて頂きますが、福島の問題に置き換えて考えると、除染し、インフラや建物が復旧して人が戻ってくることだけを復興と考えて進めていくのは「存在者の世界」を中心にした考え方であると言えます。
これに対して、原発事故が起こる前のたくさんの人々、生きものたちの〈いのち〉の与贈によって〈いのち〉のドラマの舞台としての歴史的に続いてきた温かな故郷の姿を描きながら、未来を創っていくことが「存在の世界」としての本当の復興ではないかと私は思うのです。
「存在者の居場所」を単に復旧しただけでは決して戻る事のないもの。
「共存在の場所」としての福島の復興と未来を考えていくことは日本人全体に突き付けられた課題でもあると思います。
みうらさんの詩に詠われた翡翠(かわせみ)の姿は、「存在の世界」から私たちの心に向かって光を放ってくれている存在のように感じられるのです。
本多直人
翡翠
みうらひろこ
翡翠色の羽をした鳥を見たよ
あれは翡翠だよ 生きた宝石さ
車の行き交う音や人声の喧騒もひびく
こんなに家屋が密集した町の裏に
忘れられたように流れている細い川面を
あの鳥が
宝石のような羽を広げてグライダ-のように
原発事故の放射能から逃れて
浮き草のように漂って
流れ着いたこの町で求めた小さな家
故郷で帰りを待っている家の半分もなく
私の生き方への意欲も半分になったようで
やるせない虚しい気持を抱いて
この町や この家を見限ろうとしていた朝
あの宝石のような鳥を見た
病葉が浮いた
小さな流れにひそむ雑魚を求め
あの鳥は生命を繋ぐため
身体を張って飛んでいるのだ
翡翠よ
私の乾ききった折れそうな心の中に
素敵なブロ-チを飾ってくれたんだね
翡翠という濃緑色の宝石が
私の揺れはじめた気持を
この町に繋ぎ止めてくれたんだね
翡翠がいるこの町を
翡翠が飛んでいる小さな流れが
私は好きになれるような気がした