今回の「福島からの声」は、詩人みうらひろこさんの詩集「ふらここの涙~九年目の福島浜通り~」から「忠犬たち」をご紹介させて頂きます。
現在、場の研究所の勉強会では、〈生命〉の与贈循環と〈いのち〉の与贈循環を大きな軸として議論が進められています。生命は、あくまで、その個体に限定して様々な問題を考えていきますが、研究が深められている〈生命〉は、「生命だけでなく、その生命を支えているモノとしての存在も含めるもの(清水博)」です。
例えば、厳しい冬を超えた木々から新芽を出した新緑の葉が、やがて青々とした葉となり、紅葉し、そして枯れ、森の土に還るという〈生命〉が消えていく過程からは、地球における生きものとの深くつながった、切り離せない共存在としての〈生命〉の姿をみることが出来ます。
今回、ご紹介する「忠犬たち」は、原発事故によって失われた〈生命〉を彷徨う生きものたちの姿を心に浮かび上がらせ、私たちに問いかけてくれています。
原発避難で人が消えた町に残された生きものたちの瞳から訴えてくるものとはいったい何でしょうか。〈生命〉の与贈循環が断たれるということは地球という〈生命〉を失うことにもつながっていきます。
無人の地でけなげにも待っている忠犬たちの姿からは、失われた「人との共存在の場所」を彷徨う生きものの哀しみを感じずにはいられないのです。
本多直人
忠犬たち
みうらひろこ
その昔、江戸中期から明治初期にかけ
伊勢参りが全国的に流行ったころ
経済的な理由や病気 高齢で
自分がお参りに出向けない場合
自分の家で飼っている犬に
願いを託して
代理参拝させたことがあったという
多くは白い犬がその役目を担い
目印の木札を提げ
犬は伊勢神宮のお礼を持ち帰った
神聖な場所から戻った犬を
その功労と忠誠をたたえた飼い主が
参宮犬の碑を建立したのだ
青森県から伊勢に向かった参宮犬が
いたと記す古文書も残っているらしい
犬は道中見知らぬ人らに
宿場から宿場まで案内してもらい
宿場では食事の提供も受けたという
このほど宮城県のある寺の参道に
ひっそりと建つ参宮犬の石碑が発掘され
新聞でその記事を読んで
犬の忠誠と忠義を思って胸が詰まった
原発避難した町や村から人が消えても
空き家になった家を守り
飼い主の帰りをひたすら待ち続けた
多くの犬がいたことを知っている
犬や猫はボランティアに保護され
施設で餌や水を与えられ
飼い主が迎えに来るのを待っているという
差しのべたボランティアの保護の手をすりぬけ
雑草におおわれた無人の町や村を
さまよっている犬のことも知っている
哀しいまでに人間に忠実な犬たちよ
空に浮かんだ白い雲に
犬と人間の哀愁を感じた