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場の研究所メールニュース 2025年01月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

2025年、あけましておめでとうございます。

皆様、お元気で正月を迎えられたと思います。

なお、年賀状をHPに掲載しましたので、下記URLでご覧いただけます。

本年もよろしくお願いいたします。

2025年年賀状(画像データ)URL: https://www.banokenkyujo.org/20250101/

 

さて、2024年12月は第3金曜日の12月20日に開催いたしました。

清水先生の「楽譜」のテーマは「場と共創」でした。

2024年最後の勉強会ということもあり、30名を超えるご参加をいただき、多くの議論が交わされ、大変有意義だったと思います。参加して下さったメンバーに感謝いたします。

 

さて、12月のテキスト(楽譜)の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを是非参考にして下さい。(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)

 

なお、新年最初の勉強会ついて、当初は1月に開催する予定でしたが、場の研究所として、お正月ということもあり、なにかとあわただしい時期ですので1月はお休みにして、余裕をもって2月から勉強会をスタートしたい思います。

従って、2月の第3金曜日の2月21日に開催といたします。

 

もし、勉強会について、ご感想・ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

なお、メールニュースが毎月届いていらっしゃらない方は、是非、ご連絡ください。

 

(場の研究所 前川泰久)

 

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◎2024年12月の「ネットを介した勉強会」の内容の紹介

 

 第53回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)

★楽譜テーマ:『場と共創』

 

◇創造力と空想力

・創造力と空想力とは何処かつながっているように思われる。カントは創造力の基盤を構想力に結びつけた。また三木清は「創造力の論理」は構想力の論理であるという趣旨のことを書いている。

・場の卵モデルで言えば、構想力は黄身の活き(〈生命〉の活き)によって生まれるものであり、〈いのち〉の活きである白身の活きに直接的に結びつけることはできない。しかし白身の活きは副次的な活きとして重要な役割を担っていると思われる。

 

◇卵モデルの欧米の人の理解について

・私は黄身を「役者」に、そして白身を「舞台」に例えたが、創造における両者の活きがはっきりするのは共創であると思う。

・共創という概念をドイツやアメリカで何人かの学者に伝えようとしたがうまく伝えられなかった。その原因を考えてみると、彼らが「場」というものをイメージできなかったからである。

・卵モデルで言えば、白身の流動性が低く、黄身がそれぞれその白身の居場所に入っている状態がイメージされるために、そのような黄身がそれぞれの得意な活きを一つの共通な目的である共創の目的に向かって寄与をすることが共創であると考えることになる。

・そこで彼らはその共創をintegrationと呼んだのである。日本にも、共創と言えばこのintegrationという言葉が逆輸入されて、日本における共創にも、それを使う人びとが生まれている。

 

◇共創のイメージ

・「共創」という言葉が使われていたところを実際に調べると、卵モデルで言えば白身の流動性が高くて閾値を越えて流動し、器にある黄身全体が器全体を流動する白身を共に場として受け入れて、器の同じ境界を共有していることが分かった。

・このような状況は各自の白身を場所である器へ与贈する(流動させる)ことによってしか生まない。

・このように〈いのち〉のドラマとしての舞台である場づくりを、すべての黄身の活きの前提とすることから、「共創」という言葉が日本の幾箇所かで生み出されてきたのである。

・その活きを分かりやすく言えば、共創することが生活を共にする人びと共通の人生の目的となり、共創の仲間が〈いのち〉のつながった兄弟のようになるのである。このような創造的関係は、「役者」である個人の存在を先ず立てて集まりの基盤を考える欧米では理解されにくいと思われる。

 

◇共創の考え方に対する理解のポイント

・何処が分かりにくいだろうかと考えてみると、やはり先ず、「共創の場所」への個人の〈いのち〉の与贈と、それによってその場所に生まれる〈いのち〉の与贈循環という考え方だと思う。

・その与贈循環は場を舞台の状態として共有したことによって生まれる「〈いのち〉のドラマ」の進行を表しているのであるから、ここが理解できないと、「〈いのち〉のドラマとしての共創」という考え方そのものが理解できないことになる。

・そのドラマのイメージに触れなくても定義できる共創の表現がintegrationなのである。でも、場の卵モデルを通して白身の状態を眺めると、両者の差は明らかである。

 

◇情報共有だけでは共創は生まれない

・場が生まれるのは場所の文化からであるが、場は広い意味での「舞台の情報」であり、それを場所(舞台)において読み解くことによって、狭い意味での情報(役者としての身心の操作情報)が得られる。

・その操作情報を共有してもドラマは共創できないが、場を共有することによってドラマを共演すること、つまり共創が可能になる。

・〈いのち〉のドラマは、一般的に言えば創造であるから、共創すなわち〈いのち〉のドラマを共演しようとすれば、情報からもう一歩元へ上がって、場を共有しなければならない。

 

◇共創における与贈の重要性

・私たちの場の勉強会は、ちょうど場と情報の活きの境界にあるのではないかと言う気がしている。

・それは勉強会をオーケストラの共演の形に近づけるように努力をして下さる方が何人かおられて、操作情報から共創の場を創るように与贈しておられるからである。

・このことから分かるように、情報からその元になる場を求めるためには、適切な〈生命〉(黄身)の活きと〈いのち〉(白身)の場所的与贈が必要になるのである。

 

◇多様性を認め、「共に生きていく」という考え

・「日本文化は場の文化である」と言われるが、これまでの説明から分かるように、場の文化は「共創の文化」である。

・それは具体的には〈いのち〉の場所的与贈によって共創の場所に与贈循環を生み出し、その活きで生まれる〈いのち〉の創造的な活きによって新しい活きを創造的に生み出す文化である。

・なぜ共創の文化が日本に生まれたかには、いろいろな理解の仕方があると思うが、その根底にあるのが、「互いの違いを活かしながら一緒に生きていく」ということでなければ、模倣にとどまり、共創は生まれなかったと思うす。

 

◇共創には文化の違いがある

・日本では、家庭や企業に生まれる活気のある調和も、メンバーの共創によって生まれるものが少なくなく、場所全体を場が支配して、それなりに活気を保っていた。その根本には、やはり、メンバーの〈いのち〉の場所への与贈があったと思う。

・上記の説明はintegrationについては詳しく触れていないが、この共創の方法が上記で説明した「場における共創」より劣っていると考えているわけでは全くない。

・それは地球における文明の歴史を見れば明らかである。ただそれぞれの共創の方法には文化としての特徴があるので、それを活かしていくことが、地球の温暖化がますます深刻になってくる、これからの時代には、非常に必要になると思う。

 

(資料抜粋まとめ:前川泰久)

 

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◎2025年の「ネットを介した勉強会」開催について

最初にお知らせしましたように、勉強会は1月はお休みとし、2月21日(第3金曜日)に開催予定です。

これは、2月のメールニュースで再度ご案内をします。また、これまでご参加下さっている方には、ご参加希望についてのお知らせを別途お送りします。

 

開催に際しては、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。(参加費は無料です。)

 

場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外に「哲学カフェ」などのイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。

 

2025年1月5日

場の研究所 前川泰久