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今回の「福島からの声」は、南相馬の短歌会「あんだんて」の合同詩集(第九集)から、根本洋子さん(これまで掲載を頂いてきたみうらひろこさんの本名です)の短歌をご紹介させて頂きます。
今回ご紹介させて頂く「避難解除」を題とする短歌からは、原発事故によって故郷を奪われた方々、お一人おひとりの異なる複雑な心の内が、とても重く伝わってきます。
ライフラインの整備や除染によって避難解除することは出来ても、あの時に止まった居場所の時計、心の時計は簡単に動き出すことが出来ないのです。
原発事故は、単なる震災の事故ではなく、人間や生きものの「生きていくための居場所」を根こそぎ奪い取ってしまう、人類が犯した最悪の犯罪なのです
読者の皆さんには、是非、この短歌をじっくりと心に響かせて読んで頂き、今も続いている皆さんの苦しみを、深く感じてとってほしいと思います。(本多直人)
今回の「福島からの声」は、みうらひろこさんの短歌の連載の第5回目です。
九州北部豪雨をはじめとする各地での大水害。日本が如何に厳しい自然環境の元にある国であるかということを改めて痛感させられています。
同時に言えることは、この日本という国には、いかなる安全神話も成り立たないということです。天災と人災が重なったときに起こる被害の甚大さと悲惨さ、その爪痕の深さを福島の原発事故は、私たちに今も教え続けてくれています。
みうらひろこさんの詩は暮らしの立場に立って謳われていることから、福島の問題を外からの眼ではなく、内からの眼で、居場所の眼で映し出してくれています。
私たちは、見た目の復興ではなく、この居場所の眼から問いかけを更に深め、未来の居場所づくりにつなげていく責任を担っていることを決して忘れてはいけません。(本多直人)
今回の「福島からの声」は、みうらひろこさんの短歌の連載の第4回目です。
福井県の高浜原発が先日、再稼働されました。この政府の原発再稼働ありきの方針と「安全基準」を楯に、なし崩し的に突き進んでいく今の日本の在り方に強い憤りと怒りを覚えるのは私だけではないと思います。
今回のみうらさんの詩にあるように「贅を求めて」原子力依存へと進んできた、これまでの私たち日本人の生き方が、今ほど、厳しく問われているときはありません。
みうらさんの短歌からは、その心に鏡のように映されている福島の真実の姿が伝わってきます。私たちはここから学び、そして本当の未来の居場所への一歩を創り出していかなくてはならないのです。
(本多直人)
今回の「福島からの声」は、みうらひろこさんの短歌の連載の第3回目です。
東日本大震災から、6年。
原発事故による被害は、廃炉、放射能汚染拡大の問題にとどまらず、暮らしの場を奪われた方々の補償問題や移転などの複雑な問題を次々に生み出しながら、居場所を分断し、今も人々に苦しみを与え続けています。
奪われた居場所の〈いのち〉は、ここでは簡単に取り戻すことは出来ないのです。
放射性物質を含んだ雨、支援物資を前に起こってくる言葉にし難い想い、互いの居住区の違いによって起こってくる複雑な心情。
みうらさんの短歌は、大地と共に故郷を築き、暮らしを営んできた人々、そして美しい自然を育んできた生きものたちにも映し出されているであろう「居場所の目線」から詠われ、私たちの胸に強く訴えてくる力を持っています。
居場所を取り戻していくための第一歩は、この短歌のように心の内側の目から問われていかなくてはならないものであることを改めて感じさせられるのです(本多直人)
今回の「福島からの声」は、詩集の連載を頂いたみうらひろこさんの短歌の連載の第2回目です。
作品では、津波と原発事故の被害によってあの日失われた居場所の姿の今が、線路や踏切、海に傾く船を覆うようにして群生するアワダチ草の風景などとともに描かれ、私たちの心に深く訴えてきます。
〈いのち〉の居場所が失われることの大きさを改めて感じさせられます。
失われた居場所に、再び〈いのち〉を吹き込むということ。
それは、除染、ライフラインの復旧、住宅の再建ということだけでは決して実現できないことなのです。
これからの居場所づくりにとって、大切なこととは何か。私たちは何を失い、何を取り戻していかなければならないのかを、短歌は深く問いかけてくれているのです。(本多直人)