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場の研究所 定例勉強会のご案内
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ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/
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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」
〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。
(清水博)
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2018年11月のメールニュースをお届けいたします。
・2018年10月の勉強会は「場の研究所」で10月19日(金)
15時から19時30分まで、従来通り15時からワイガヤ的に
議論を進めて17時より勉強会となりました。
まず、15時からは、最近話題のハラスメントに対する議論を
しました。「ハラスメントを捉えなおす」というテーマで
スタッフの小林 剛さんが中心になってワークショップを
実施しました。
ます、この内容から紹介いたします。
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<ワークショップ「ハラスメントを捉えなおす」について>
◎ワークショップ「はじめに」より
昨今のニュースに散見される「ハラスメント」の文字。
誰しもが無い方が良いと考えているはずなのに、無くならない。
それどころか、次第にハラスメントの雲は空の大半を覆うよう
になっています。ここまま行くと、息苦しさの渦のなかに全て
の人が巻き込まれていくことになる勢いです。このままでよい
はずはありません。
そんな中、出会った「ハラスメントは連鎖する」という本(※)
があります。彼らの考えは、これまでの「ある働きかけがあった
時、受け手が「嫌がらせ」という文脈を捉えることがハラスメント
である」とする考えから質的に違うものになります。
(※安富歩、本條晴一郎著、光文社新書)
...中略...
そして、ハラスメントの仕組みについて理解することは、「居場所
づくり」や「居場所の活性化」の理論やその技術の手がかりと
なってくれるのではないかという期待を持っています。
ワークショップ「ハラスメントを捉えなおす」は、そのような
思いをもって企画しました。
また、このワークショップを場の研究所で行わせていただける
ことを嬉しく思っています。できるならば、この「ハラスメント
理論」を与贈や相互誘導合致、など場の理論という視点から見た
ときに、何が見えてくるか話し合っていければ幸いです。
◎ワークショップについて
ワークショップをメールニュースで報告することは困難なので、
ワークショップで行なったこととは少し違いますが、同様の
問いかけができるようなレポートとしてまとめてみました。
これまでの一般的なハラスメントの捉え方は、(ある働きかけ
があった時に、)「受け手が「嫌がらせ」という文脈を捉える
ことがハラスメントである」と言うものでした。(認識の話)
これに対して、ハラスメント理論では、「受け手が自らの捉えた
文脈に基づいた意味の解釈を妨げるときがハラスメントである」
と言っています。(存在の話)
もう少し詳しく書くと、受け手の捉えた文脈を「否定」し、別の
文脈を「強制」することで、受け手が「学習」(経験を通じて
環境に適応する能力の獲得)を妨げることとしています。
この「否定」と「強制」の組み合わせがハラスメントであると
いいます。
受け手は、自身の感情を受容することで、文脈を捉えます。
つまり、捉えた文脈を否定するということは、受け手が感じた
感情を否定することと同じことになります。
そして、それに続けて、(虐待者の勝手な都合による)別の文脈
を強制するということは、どのように感じるべきかが強制される
ことであると言えます。
感情を否定され、別の感情を強制されることで、犠牲者の
「学習」が妨げられてしまうと言います。
(「学習」について「ハラスメント理論」から引用します。)
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生物の「学習」は、環境への適応を実現するために行われる。
人間同士のやり取りの場合、メッセージの交換によって、
お互いがお互いに対して適応を実現していく。
...中略...
適応とは、自分が生きている状態を保つように、自らの状態を
変化させることである。
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ハラスメントに反して、学習を助ける働きかけとして。
周囲の人間が、学習する当事者の感情を「受容」し、当事者が
捉えた文脈に合わせて利用できるような概念や方法論を「提示」
する場合、学習者が状況へ適応することを学ぶことは容易になる、
と言っています。
このことは、今、私たち自身がハラスメントから学ぶ、環境に
適応する能力の獲得のヒントになってくれるのではない
でしょうか。
以上
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17時から、清水先生から仮題「存在と関係」というテーマ
でしたが、これまでの場の理論でお話してきました「〈いのち〉
とその自己組織」に対する誤解が広がっていることから、以下の
資料に基づいて現象学的観点から説明されました。
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勉強会テーマ:「<いのち>とその自己組織」
(◎の3つの項目について説明がありました。)
◎〈いのち〉の定義:自己(存在者)の存在を継続的に持続しよう
とする能動的な活き。
・〈いのち〉は生命と異なる。
(1)居場所との間で与贈可能であり、与贈循環によって
場をつくる。
(2)自己組織性がある。
(3)存在者の内在的な活きであり、存在者から分離して
外在的存在者として認識することはできない。
(科学的に測定できず実証的に証明はできないが、
生活の中での経験を通してその存在を知る。)
◎与贈された〈いのち〉とその自己組織性
(存在者の多様性を前提として)
(1)現象学的還元によってその存在を確認する。
(2)存在のアプリオリティ性(意識の在り方が先行する。)
(3)華厳哲学の事事無礙(じじむげ)「一即一切、一切即一」
(事=存在者)だが個々の事からは直接的に事事無礙の
状態を自己組織できない。
(4)華厳哲学の理事無礙(りじむげ)を通して事事無礙が
生まれる。
(理=存在の活き、すなわち〈いのち〉)
(理事無礙=自己組織された居場所(宇宙)の〈いのち〉
に存在者が包まれた状態)
(5)〈いのち〉の自己組織と与贈循環が先ず個々の存在者の
内部で起き、それぞれの存在が内的な居場所(宇宙)に
位置づけられて、個別的な時間を生む。
(自己の存在に宇宙的唯一性を意識することが自己の内
で居場所(宇宙)が生まれていることを裏付けている。)
(6)次に個々の存在者の内部で生まれた個別的与贈循環が、
居場所における身体的な相互引き込み現象(時間的な自己
組織現象)によって同期し、居場所全体に与贈循環(場)が
生まれて時間が共有され「〈いのち〉のドラマ」が出現する。
この状態が事事無礙に相当する。
◎〈いのち〉の自己組織と〈いのち〉の医療
(特に高齢社会の医療に向けて)
・〈いのち〉は存在を継続しようとする能動的な活きであるから、
高齢の存在者の身体に〈いのち〉が生まれる状態をつくり出す
ことが治療になる。
そのために必要なことは、与贈(「呼び水」)によって、存在者
の内部の与贈循環({ポンプ})が〈いのち〉(「水」)を汲み出す
ことができるようにすることだ。(与贈は〈いのち〉の活きに
よって創造性や免疫性を高める。)
★真善美は居場所に〈いのち〉の自己組織がおきる変化の方向を
示すから、この〈いのち〉の医療を助ける活きをする。
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・清水先生コメント
(上記の内容について、メールニュースとしての説明)
ドイツのメルケル氏が党首を引き、ブラジルのトランプと
言われるボルソナーロ氏が大統領に選ばれたということからも
分かるように、個の多様性の下に全体的な調和を考える考え方は、
一国中心主義(ポピュリズム)に押されて未来が見通せなく
なっています。
そのような状態が起きていることの原因を考えると、西洋の
近代を支えてきた思想には、個の多様性を前提として成立する
調和の原理がないからです。これは多様な個体の上に直接的に
秩序を自己組織させようとしても、カオスしか出ないことと関係
があります。
一方、東洋には、個の存在の多様性を前提として成立する調和
という考えが昔からあり、その原理を哲学的に表現しているのが
華厳哲学です。華厳哲学によれば、多様な存在者の上に直接的に
調和を自己組織しようとしてもうまくいかず、まず存在(意識)
のはたらきを個々の存在者から切り離して、調和が暗在的に自己
組織される「理事無礙」と言われる状態を自己組織的に作って
から、存在者の間の関係をつくっていくと、調和的な状態である
「事事無礙」が生まれると言われています。(ここで理は存在、
事は存在者を示します。)
そこで理事無礙とは具体的にはどういう状態であるかが、多く
の人々の関心の的となってきましたが、仏教関係者意外にも、
井筒俊彦氏のような優れた学者によっても深く研究されており、
その業績は世界的で東西の学会からも高く評価されています。
しかし、それはまだ問題を残したまま井筒氏は亡くなられています。
場の研究所は多様な個のもとで成立する全体的な調和の原理
を探して研究をし、そこで得られた「二重存在」という概念を
本年の9月1日のシンポジウムで報告しました。この二重存在
の状態が理事無礙の状態と実質的に等しいと考えて、「多様な
個からの〈いのち〉の居場所への与贈、与贈された〈いのち〉
の居場所における自己組織による場の生成、その場の個への
与贈循環」という原理によって、理事無礙に相当する状態が形成
されると言うことを勉強会で説明しました。
華厳の理事無礙は、東洋思想の中核にある思想ですが、元来、
難しいものなのです。その難しさの原因を考えてみると、存在者
の多様性をくっつけたまま自己組織的に取り扱おうとすると、
カオスが生まれてしまうために、多様な存在者(事)の自己
組織性を、その多様な個性から切り離して取り扱う方法が分から
ないということに原因があるのだと思います。
そこで自己組織の活きをする〈いのち〉を存在者から切り
離して居場所に与贈するということが必要になります。そして
居場所に自己組織した〈いのち〉(集合的意識に相当します)を
存在者に還元するのが与贈循環です。これが理事無礙の状態に
相当し、この状態を経過して事事無礙(多様な存在者の間の調和)
が達成されるのです。
しかし、ここには一つの難しい問題が残っているのです。
それは理事無礙の状態で多様な各人は自己の特異性(主体性)を、
どのような根拠によって発見するかということです。これが
分からないと約60兆個の特異的な細胞から一人の人間の身体の
調和が、どのような原理によって構成されるかを完全に説明
できません。現在、世界でおきている一国中心主義の問題にも、
この難しさがあるのです。単純な与贈だけでは解決できない
問題が残ると言うことです。
このあと、華厳哲学に関係の深い仏教の宗派の副住職である
川島俊之氏にこの問題点にも触れて、興味深い解説をうかがい
ました。
以上
■11月の勉強会のご案内
11月も従来通り、大塚の場の研究所で勉強会を実施いたします。
日時:2018年11月16日(金曜日)
15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会
を行います。)
勉強会テーマ:仮題「〈いのち〉の自己組織と伝統的な場の文化」
を実施いたします。ここでも、個の多様性と調和の問題が自然を
含めて問われます。
場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org
参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
(なお、飛び入りのお断りはしておりません。)
■編集後記
今回の勉強会は、前半のハラスメントについては、最近の話題
ということもあり、議論に熱が入りそれぞれが意見を出し合う
有意義な時間が持てました。
また清水先生の「〈いのち〉とその自己組織」の話では、竹田
菁嗣『はじめての現象学』という本の中の絵で現象学の表現を
紹介してくださったのでわかり易かったと思います。さらに、
医療における与贈循環が治療になるという、話が聞けて良かった
と思います。また、川島様から仏教における二重存在についての
お話も興味深く聞くことができました。
ご参加くださったメンバーの方に感謝いたします。
11月は従来通りの「場の研究所」での勉強会を計画しております。
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定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
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